プロローグ
『事の始まり』1話







 はた、と気付いて、周囲の慌しい光景を見た時、美咲は訳が分からなかった。なぜ、自分がここにいるのか、状況が理解できなかった。
 白衣の医師がいる。看護師もいる。横たわる患者の周囲には、たくさんの計器が並んでいる。
 事態は深刻のようで、医師や看護師が走り回り、怒声があがっていた。
 明らかに、ここは手術室のようで、患者に付けられた様々な精密機械が、緊迫したアラームを鳴らし続けている。
 一人の医師が両手に、コードの付いた平べったい板を手にした。
 ぼんやりそれを見ていた美咲が
(この機械。テレビで見た事ある。心肺蘇生をする機械だわ。)
 と、思った通り医師は、意識なく、血まみれになって横たわる患者の胸部に、それをあてがった。
「チャージ終了。…オン!」
 医師のかけ声とともに、ガタン。と、すごい音をさせて、患者の体が跳ね上がる。
 一瞬後、その場は機械音のみの音だけになった。周囲にいた医師や看護師が、心電図の波形を、息をひそめてジッと見つめる。
「だめだ。もう一度、チャージして!」
 波形に動きが見られない。
 医師は、首を横に振り、看護師にそう指図する。
 患者のむき出しになった胸には、ポアンとした膨らみがみられ、それで女性だと分かる。
 口から血を流し、半目を開けた瞳には、生気がない。
「チャージ終了。…オン!」
 再び、医師のかけ声とともに、手術台に横たわる患者の体が跳ね上がった。
 その患者を、何気なしに見ていてハッとなる。
 女性の姿が、馴染みのあるものだったからだ。イヤ、馴染みがあるなんて所ではない。
 顔面に裂傷を受けていたとしても、この独特の眉毛の薄さ、頭の形、額の出具合も・・・。いつも気にしていたのだ。顔のわりには小さいこの鼻も、プチ整形したら、どんなに変われるだろうか。
 いつも夢見ていた。
(これって私?)
 思った瞬間、ドンと、彼女の姿が目に入り込んでくる。
 長い髪は、ベットリ血が貼りついていて、束になっている。
 服は土や泥で汚れていた。
 手当てのために分断されて、体に張り付いているだけになっていた。
 無残だった。
 元々は、キティちゃんの絵の入った、ピンク色のTシャツに、ジーンズ生地のスカートだったのに。
(私!事故にあったんだ!) 
 直感ともいうべき確信が、美咲の脳天を直撃する。同時に、意識を失う直前の映像が、さまざまと甦ってくる。
 夜道に、コンビニに出かけでいた美咲を、後ろから車の音が近づき、追い越すのかと思ったら、あっという間に引っかけられて、地面に叩きつけられた1シーンを。
 痛いとか何もわからない。
 ものすごい衝撃が襲ってきて、あとはもう暗転のみ。
 いや、ハタと気が付いたら、このようになっていた。
 眼下に緊迫した手術室の風景が、繰り広げられていた。心肺停止状態の自分らしい体を、天井あたりの高さで、見下ろしていたのだ。
 浮かんでいるほうの美咲の実体は薄く、下方に横たわる患者と、繋がっているのが、かすかに見て取れる。
(幽体離脱?)
 その言葉が、電撃のように浮かび上がった。それを確信すると、美咲は半狂乱になった。
 声にならない叫びを上げて、横たわった体へ潜り込もうとして出来ない。血まみれの体の周りをウロウロし、何度も同じように手術台の上に横たわるのだが、まるで違う世界の出来事のように干渉できない。
 ひとしきり動き回って、全く何も出来ない事に気が付くと、
(どうしたらいいの?)
 と、美咲はボー然となった。医師達が懸命に救命処置に、かかっている姿を目にしながら、自分は元の体に戻れないのだ。
 途方にくれる美咲に
「やっと気が付いた?」 
 と、ふいに横の方から声がかかるのだ。
 びっくりした。
 振りむくと、美咲と同じくらいの年頃の少年が立っている。
 色素のうすい髪色に、日本人離れした顔。華奢な体付きは、まだまだ第二次成長期の恩恵を浴びていないかのように可憐だ。
 けれど、男性への変化は彼の身の上に着実に起こっていた。証拠にしっかり声変わりして、低くなっている声でわかるのだった。
 ただ、女の目線でいえば、眩しいくらいの可愛らしい容貌を、彼の目つきが帳消しにしてしまっている。
 思いつめた鋭い目付きに、すべてを諦めた者が持つ、淀んだ瞳の色。
 一言でいえば、暗い顔。
「ひょっとして、お迎え?」
 思わずつぶやいた一言に、
「あいにく、違うんだ。」
 と、口元をゆがめて言う彼の言い方に、美咲は理由の付かない反発を覚えた。
「じゃあ、何なのよ。」
 口をすぼめて問いかけると、相手は美咲の事を、嘲るかのような目線になって、
「わかんない?」
 と、逆に聞いてくるのだ。
「わかんないから混乱してんじゃない。」
(なぜ、こんな奴がそばにいるのかも、訳が分からないわよ!)
 つくづくそう思い、美咲が、たたみかける様にして怒鳴ってゆくと、
「あんたは死ぬ運命にあるんじゃないの?」
 と、さらりと言ってくるのだ。
 一瞬、美咲は息がつまった。冷静にならなくても、この状態がかなりヤバイ事ぐらいは、美咲だって分かる。
「俺は生きそうだから…。」
 と、さらに彼が言いつのってくる内容に、それこそ美咲は絶句した。
「こっちを見て・・。」
 彼が、指を指し示した方向に思わず目を向けてしまう。
 すると映像だけが、ダイレクトに頭に浮かんでくる。それを不思議には思うことなく、処置室のような部屋で、少年が一人眠っている風景を見てしまう。いや感じてしまっていたのだ。
 頭を包帯でグルグル巻きにされてはいても、安らかな寝息まで聞こえてきそうだ。
 眠る少年の姿は、今美咲の目前にいる男の特徴と酷似していた。
「・・・何が言いたいの?」
 美咲はその時、横に立っている相手の事が、心底嫌いになった。わざわざ瀕死の美咲に向かって、「俺は生きそうだ。」とは何事だ。
 怒りで、かえって冷静になった美咲に、彼は謎めいた笑みを浮かべてくる。
「君は生きたいと思っている?」
「当たり前じゃない。」
「見た目はべつの人間になったとしても?」
 彼の言っている意味が分からない。
「今、俺と君は、なぜだか同じ空間にいるんだよな。あっと、その前に事故紹介といくか。
 俺の名は河田凉(かわだ りょう)。現在中学3年生。
 自動車事故を起こして現在は、緑生会総合病院に入院中。
 多分、君を轢いた張本人だよ。」
 と言った彼の表情。
「なんですってぇー。」
 あっけにとられて叫ぶ美咲を、河田凉と名乗った少年は、笑みを凍りつかせ、なぜかゾッとさせられる表情のままで、見つめてくる。
「轢いた事は謝るよ。弁解のしょうのない。俺が悪かった。どんなに謝ったとしても、君の体を元には戻せないのは事実なんだし。」
「今さら謝ってもらっても、仕方ないでしょ。あんた、そんなこと言って、全然反省してるようには見えないじゃない!」
 感情のままに叫んでいる美咲に対し、榛は笑みを浮かべた表情から、一転して無表情になる。そして、唐突に
「代わってあげようか?」
 と、言うのである。
 美咲の動きが止まった。




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