プロローグ
『事の始まり』2話





「・・・今なんて言ったの?」
(代わってあげようかって、ひょっとして、・・死ぬのを代わってくれるって事?)
 そんな事出来るわけないだろう。
 突然命を絶たれようとしている美咲にとって、彼の言葉は生きる事、死ぬ事の意味を持ってしまう。
「・・どどどどういう意味なのよ。」
 声が裏返ってしまう美咲に 
「そのままの意味さ。死ぬのを交代出来るかもしれないんだ。君と俺。やってみない?」
 と、言うのだ。
 その場が凍りつく。
 美咲は言葉につまったものの、
「・・どうしたらそんな事ができるの?」
 という言葉を、やっとしぼりだすと、彼は凍りついた表情のまま
「なぜ俺達、この場に一緒にいるんだろうって思ったんだ。」
 と、つぶやいてくるのである。
「ほら、俺達の上のほうから、光が差し込んできているだろう?。」
 彼は言って、頭上に視線を向けると、その通りだ。
 淡い何ともいえない美しい光がふんわりと、美咲達に降り注いでいる。
 かすかだが、軽やかな音楽まで聞こえてくるのだ。
 思わずうっとりする美咲に
「あれこそ、お迎えだと思う。」
 彼の説明にハッとなる。
 まだ逝きたくはなかった。
「そんなあ・・。」
 うめいて上を見上げ、途方に暮れる美咲に、
「はじめ、この光は俺のために降り注いでいるんだと思ったんだ。
 浮かぼうと思って飛ぶんだが、上がれない。そうこうしているうちに、生きている自分に気が付いて、慌てふためいている君にも気が付いたってわけ。
 状態は、明らかに君の方が悪い。」
 ささやくようにつぶやく凉の瞳の力は強い。思わず引き込まれそうになる。
「なぜ、“この場”に君と俺がいるのか。
 事故で衝突したせいで、こんな感じになってしまったのか…。理由はともかく、死後のお迎えの光は、君のもののはずなのに、俺にだって見えているんだ。
 事態は緊迫していて、ごじゃごじゃ考えている場合じゃない。
 一つ、提案があるんだ。
 俺は、あの光に呼ばれたい。君はまだ死にたくない。
 もし交代出来るものなら、出来ないだろうか。」
 彼の言葉に、美咲は大きくうなずいていた。
「・・そんな事、本当にできるの?」
 美咲の問いに、凉はあざ笑うかのようにフッと鼻で息をはく。
「そんな事、俺だってわからないさ。でも、とりあえずは、出来る事からやっていってもいいとは思わないかい?
 例えば、お互い替わります。と言ってみるとか、手を握り合うとか。
 まずは、替われるんならば、俺の方がリスクが高いわけだし、行動を移す前に、ちょっと条件を出したいんだけど、いい?」
 余裕の彼だ。同時に、凉という少年は、恐ろしく頭がいいのだと思う。
 混乱の極致にあって戸惑うばかりの美咲と、冷静な彼との違いはどうだ。びっくりするくらいの状況分析能力と、判断力だ。
「別にいいけど・・・。」
 目を丸くして答えながら、美咲は心の中で思う。凉はそれを聞いて、コクンとうなずくと、ちょっと考えるかのように首をかしげた。
「まずそうだねえ・・。
 条件その一。もし交代出来たらの話だけれど、君の体は使える状態じゃないだろう?
 多分、君は俺の体を使う可能性が、高いと思うんだ。
 そうなった場合。」
 そこまで言って、凉はいったん言葉を切る。なぜだか、息をのんで見守る美咲の表情をよく見ながら、
「表面は河田凉になってしまった君は、きっとなぜ俺が死を選んだのか詮索したくなるだろうと思う。
 それはやめてほしい。
 見た目は河田凉だとしても、中身は違うんだから、これまでの俺の生き方に左右されずに生きて欲しいんだ。
 いっその事、家出するなり、記憶喪失を装って別の人格になったんだと周囲にアピールするもよし。
 自由にしてくれていい。
 半分は、君を轢いてしまったことの償いの意味もあるから。」
(この子はなんてことを言うの!)
 美咲は、凉の言葉を聞いて感動してしまった。
 これまでの自分の生き方を、彼は引き継ぐな。と言っているのである。
「それでもいいの?もし、あなたの体を使う事になったとしたら、親や、友達や、いろんな人のこととかあるでしょう?」
「あの世に逝ってしまったら、君がどうしょうと、俺は干渉できないだろうし、そもそも生きている俺の体の状況を知ることが、できるかどうか分からないじゃん。
 それに、生きるのは君だ。俺じゃない。
 それなら、初めから君の自由に生きてくれたらいいと思った訳。」
「そうなんだ・・。」
 凉の言葉に、美咲は妙な返事をして、彼の失笑を買う。
「とにかく条件その一は、俺が死を選ぶ原因を詮索しない事と、見た目は河田凉となったとしても、自分の人生を生きる事。いいかい?」
 彼の思考の速度は速く、それについてゆくのが精一杯だ。問答無用とばかりの凉の態度に美咲は、何度も頷き、
「は、はい。」
 と答えると、凉は確認するかのように頷き、また首をかしげて考え出す。
「それとねえ・・。」
 さらに続けようとして、ふいにニヤッと笑う。
「次は、ちょっといじわるな条件を出させてもらうよ。なんたって交代すれば、俺には未来がなくなってしまうのだから・・・。」
(いじわるな条件って・・。何?)
 ドギマギする美咲を、凉は相変わらず強い視線で見つめ、一人うなずくと、
「条件その2、恋人を作らないこと。」
 と言うと、どうだ。この条件を呑めるか?とばかりに、見据えてくるのである。
 美咲は、その挑戦的な態度に、ムクムクを対抗心が湧き上がってくるのを感じた。
「死ぬのを代わってもらえるんだったら、それくらい呑めるわよ!」
 美咲が言い切ると、凉はおもしろそうな顔をして、
「本当に?」
 と、問いかけてくるのだ。その態度にも、美咲はムッとなって、
「バカにしないでよ。はい。田中美咲は、死を交代してもらう代わりに、恋人を作りません!」
 と、言いきったのだった。
 それを聞いた凉は、一転して美咲を賞賛のこもった瞳で見返した。
「オーケー。あまり条件を出したって、交代できなければ意味ないから、これくらいにするよ。特に条件その二は注意して守ってくれよ。
 次は、交代の儀式と行こうか。
 どうする?まず手でも握ってみる?」
 凉は言って、手を差し出してくるので、美咲も彼の手を取った。
「・・・。」
 何も起こらない。
 思わず救いを求める目付きになってしまう美咲に、凉の瞳は揺らぐことはない。
 始めから、それくらいでは、何も起こらないと、予測していたようだ。
「次は、手を握ったままで、言葉にだして契約してみる?」 
 凉の言うまま、美咲は頷く。
 なぜなら、事態は緊迫している。と、彼が言った通り、美咲の体は心なしかフンワリと浮き上がってきているのだ。
(早くしないと、死んじゃう!)
 せっぱつまる美咲の様子に、凉は強い視線で頷き、
「大丈夫だから。」
 と、小さな声でささやいた。
「河田凉は、田中美咲の代わりに、光の元に向かいます。」
「田中美咲は、河田凉と交代して、生を選びます!その時、二つの条件・・。
 河田凉が死を選ぶ事を詮索しない事と、自分の“生”を生きること。恋人を作らないことを、遵守します!」
 凉と美咲が、そう言い切った時に、…パン。と、何かが弾けるような感じがした。
 音がしたわけではない。
 形のない衝撃が、美咲と凉の体を走り抜け、一瞬気が遠くなる。
 一瞬か、永遠か。わからない時間の暗転を通り過ぎた後、ハタと気が付いた美咲の目の前で、凉の体がフンワリと浮き上がってゆくのを目にするのである。
(交代できた?)
 歓喜のあまり、飛び上がりそうになる美咲は、思いもしないかった凉の沈痛な面持ちにハッとなるのだ。
(やっぱり、彼も死にたくなかったの?)
 美咲が言葉にしようとする前に、凉は美咲の視線に気が付いて、ニッコリ笑う。
 その透明感のある笑顔に、胸を打たれる美咲に、
「俺は本当にズルイ人間だよ。こんな俺が、光に導かれてもいいわけないのに・・・。
 せめて美咲さん、自分らしい“生”を生きてくれよ。」
 と、謎めいた言葉を残して、スーと、浮き上がってゆくのである。
「凉ぉー!」
 呼びかける美咲に、彼の返事はない。
 そして、美咲の方だって、凉が天に昇って行くのを合図にしたように、自分の周囲の“場”のような世界が、グニャリと歪みだすのだ。
「いやだぁー!」
 恐怖におののき叫び声を上げる美咲には、凉の心情を考える余裕なんてなくなってしまっているのだった。




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