第一章
『新しい体へ』2話
今回は、ベットの横に、様々な計器が点滅し、波形を生み出している。
同時に、頭に鈍痛。
(痛み?)
それに気付いてハッとなる。
今まで美咲は、凉の体の中にいて、痛みなど感じた事がなかったから。
冷たさ熱さなど、さまざまな感覚から、美咲は締め出されていたのに、今ははっきりと感じ取れる。
シーツの少しざらついた感触や、喉が渇いている事など、すべての五感。感触が、リアルに伝わってくるのだ。
(ひょっとしてこれって・・・。かなりいい傾向かも!)
やったー!
思って美咲は、声にならない叫びをあげて歓喜し、早速体を動かそうとして、試しに指を動かそうとして…。
動かなかった。
(そんな上手くはいかないよね。)
ガクッとなるが、明らかにこれは以前とは違う。
(ちょっとずつでもいいから、動いてくれればいいのに・・・。)
切に思って、心の中でつぶやいて深く吐息を吐いた時、部屋の隅で、何人かの人の気配がするのに気がついた。
「一体、どうゆう事なんだ!・・・。」
と、怒鳴り出したのでビックリする。同時に、その声は聞き覚えのある声だ。
(凉のお父さん?)
病院で、凉が怪我をしたと聞いて、駆けつけてくれたのかも知れない。
「事故の後遺症もあるのに、どうしてくれるのです?」
声をひそめて話す、凉の母親の声は鋭く尖った感じだ。
「あの・・。ここではなんですので。…・カンファレンス室を用意してありますので。」
と、医局側らしい男の声がする。
(?)
と、美咲は、不思議に思うのだが、すぐに凉の怪我についての話を、しているのだと見当がつく。
「ここでは話せない内容なのかね。」
凉の父に詰め寄られて、仕方なく彼らは、怪我に至った経緯を、説明しだすのだった。
美咲にとってもその方が都合よかった。
小さな声で話すのを、ジッと息をひそめて聞いていると、なぜだか凉の怪我は、凉自身が動いたために、起こった事故。として処理されているのだ。
車椅子の固定ベルトが、はめ忘れた事になっていた。
ベルトをロックしないまま、そのまま出かけたこと。その上、看護師が側を離れ、現場には家族の耕太郎だけしかいなかった事が、問題となっていた。
ボソボソと話す声に混じって、聞き覚えのあるハイスキーな声色がまじる。
「僕がしっかりしていなかったから・・。」
耕太郎の声だった。
「いえ。私どもの認識不足が、このような結果になったわけで…。」
誠に申し訳ないと、医局側のコメントが入る。
凉の怪我の状態は打撲と外傷のみで、脳の損傷は全くなかった。と、力説しているのが聞こえてくる。
そこで眉をひそめてしまう。
脳の損傷がないのは良かった。けれども・・。
(なんで私が動いた事になっているの?
車椅子を転倒させて、怪我させたのは、耕太郎でしょ。
『お前・・死んでしまえ。』って言ったじゃない。!)
思った瞬間ゾッとなった。
五感を感じ取れるようになったからと言って、浮かれている場合ではない。
耕太郎の殺意は、上手に隠されているのだ。
(どうしょう…。)
うめいても、肝心の体が動かないのだ。どうしようもなかった。
それにしても耕太郎がついた嘘…凉の体が、突然痙攣を起こし、車椅子から転倒した。というのはひどい。
(そんなの事実じゃないのに・・。)
訴えようにも、言葉が出ない美咲には、無理な話だった。
目撃者さえいないのだ。
それを思った瞬間。彼が空中庭園でつぶやいた一言に思い当たる。
『この辺りでいいかな?。』
と言った、一言を。
人がいないから、車椅子を転倒させても、誰も気がつかない。
あのまま凉=美咲が死んでいたら、完全犯罪だったのだ。
(いやだ。殺されたくない!)
心の中でつぶやいた美咲は、その言葉通り、いち早く自分のことは自分で出来るようにならなければならない。と、心に誓ったのだった。
そして、医師の許可が下りたその日から、猛烈にリハビリに励みだした。
どんなに辛くとも、体が不自由だと、いつ前みたいに耕太郎に殺されかけても抵抗すらできないからだ。
美咲の必死な努力の甲斐あって、凉の体はじょじょに、美咲の指示通りに動いてくれるようになってきた。
病院で注意をしなければならない時は、耕太郎が見舞いに来た時だ。警戒をおこたらないようにするのだった。
特に二人きりになることをさけ、看護師が美咲と耕太郎を残し、病室を出ようとすると、発作を起こしたようにいやがったりしたが、何気なしに凉の耳元で、
「そんなにイヤがらなくてもいいじゃないか。あの時失敗したんだから、二度目はないぜ。疑われるからな。俺はそんなにバカじゃない。」
と言った一言に、我に返る。
(本当ぉーー?)
と、疑いの目を向ける美咲の視線を、耕太郎はまっすぐ見返してくる。
その瞳の色が、昏睡状態?(幽体離脱時?)の時に出会った、凉の暗い目付きとふいに、重なるものを感じたのだ。
地の底に沈み、這い上がることの出来ない苦しみをもった瞳。
しかし、凉の視線とは明らかに違うのは、彼は苦しみに押し潰されては、いないように見えること。
淀んだ心の奥底に、煮えたぎる怒りを封じ込め、のし上がってゆこうとする強烈な、気概のようなものを、感じさせられたのだった。
(凉も耕太郎も、なにがあったの?)
美咲は彼の瞳に衝撃をうけ、そう思わずにはいられない。
同時に耕太郎の言うことは、信用がおけると確信した。彼の殺意は、整理されている。感情のおもむくままには、動く事はない筈だ。
それから、美咲は警戒はしても、暴れるようなことはしないようになった。
完全看護とはいえ、一人の患者に、耕太郎が来るたびに、看護師が付き添っているわけにはいかないからだ。
耕太郎を拒絶し続けているのにも、限度があった。
なぜかというと、見舞いに訪れるのは、耕太郎ばかりで、毎日のちょっとした日用品や、汚れた下着などをもって帰り、洗った服を持ってくるのは、彼なのだ。
父はともかく、あの母をも、目にしたのは、意識が戻った時と、頭を怪我した時の二日間だけ。自然、彼に用事があれば頼むことになってしまう。
そして、凉だけではなく、耕太郎も頭がいいと、彼とともに過ごすうちに、感じさせられるようになったのだった。
しかし、耕太郎を見ていて、美咲はなぜだが彼の周囲にだけは、経済的な余裕みたいなものが見えないのが不思議だった。
背ばかりに、栄養がとられてしまっているのか、やせぎすの体付きに、いつもよれてしまっているTシャツにGジーンズ。
髪型は、カットせずに伸ばしっぱなしになっているのか、それともそんな髪型にわざとしているか、一見分かりかねる形をしており、美咲の頭の中を?マークで一杯にさせてくれるのだった。
そして、経済的に困窮しているように見える最大の理由の一つとして、耕太郎はよく咳をするのである。
コンコンと、力なく咳をする姿と、顔色の悪い表情を見せられているうちに、美咲は河田家の中での耕太郎の位置づけは、どのようになっているのか、気になって仕方がなくなってくるのだった。
とはいえ、耕太郎の凉に対する悪意は本物だ。
その場に自分達以外の人がいる時は、隠しおおせているのが見事だった。
けれども、二人きりになったら途端、マグマが噴き出すかのように、憎悪の感情を浴びせかけてくるのである。
困ったものだった。
そして、言葉が出せるようになった頃に、凉の記憶がない事を訴えて、医局と両親を仰天させたのだが、なんとか理解してもらうのだった。
だから精神科の医者までが治療のチームに加わって、さらに別メニューをこなさなければならないハメになったのだが、本当に記憶がないのだから黙っているわけにはいかなかったのだ。
ただ、記憶喪失の件は、耕太郎には通用しなかった。
「お前、本当に記憶がないのか?」
なんて、疑いの目で、見つめて聞いてくるのだ。
「凉・・の時・・の記憶・がない・・んだ。」
と、言葉足らずに美咲が話すのだけれど、相手はピンとこないらしい。嫌味ばかり言ってくる。そして、
「お前の”お母様”は、見舞いにいけないくらいに忙しいんだってさ。
俺に見舞いお願いねって。言うんだぜ。相変わらずお前ん家は自分勝手だよな。
俺がバイト行ってるのを知ってるってのにさ。
このままじゃ、きっとクビだせ。どうしてくれる?お前、バイト料出してくれるか?」
と、凉が母親のことを“お母様”と呼んでいたことや、自分達が見舞いに来ないで、従兄弟の耕太郎に頼む矛盾を責めてくるのだった。
言葉とは裏腹に、耕太郎は、凉の体が不自由な様子を見るのが、ことさらうれしいらしい。
(耕太郎と凉・・。なんで、こんなに仲が悪くなっちゃってしまっているの?)
彼を見るたびに思う。
凉=美咲が苦労して体を動かす様を、嬉々として見つめる、耕太郎の視線は冷たすぎる。
悲しいくらいだった。
ある時、耕太郎のいつもの理不尽な言葉をあびているうちに、涙がポロポロ出てきた。
何も言えず涙を流して、じっとたたずむ美咲を見て、仰天したらしい。
「なっ何だよ!気持ち悪い。」
動揺した彼は、そのまま病室を出て行ってしまったのである。
後で、持って帰ってもらう品物が、置きっぱなしになっているのに気付いた美咲だったが、それがどうした。と思うくらいだった。
(もういやだ。他の人に変えてもらいたいよ・・。)
つくづく思ったとしても、見舞いにくるのは耕太郎だった。
次の日に姿を見せた彼は、何ともきまり悪げな顔付きだ。
「あの・・その・・。」
言いたい言葉がうまく出てこないようだ。
すぐに先日忘れていた荷物にハタと気付いて、
「今日。持って帰るから。」
と、わざわざ言い訳すると、ベットの側に腰掛け、ジッと美咲を見つめてくるのである。
「ちょっとテストしたいんけれど、いいか?」
美咲の意志を問う言い方は、今までなかったものだ。
「・・いい・けど?」
詰まりながらも返答した美咲に、彼はコクンとうなずくと
「じゃあ、紙とペンと用意したから、これに何でもいいから書いてくれないか?」
(?)
何がしたいのかがよく分からないテストだったが、言われるままに美咲は書いてゆくのである。
それはテストだった。
記憶喪失が本当であるかどうかの、彼なりのテストだったのだ。
紙に書かせたのは、きき腕を知るため。
美咲は右利き。凉は左利きだったので、判別つきやすかった。
その後、好きな食べ物などを確認したり、突然人の名前を言って、凉の反応を見てみたり・・。
そして、
「お前。本当に記憶がないんだな。それに、今のお前は、昔のお前と全然違う。表情からして違う。これじゃあ、別人だ。」
と、しみじみつぶやいてくるのだ。
やっと、今の凉が、元の凉ではないことに気付いたらしい。
美咲からすれば、体は凉のままであっても、心は違うのだから、別人と言われて当たり前なのだけれど、相手にはそれはなかなか伝わらなかったのだろう。
もともとの凉を信用していなかったから、時間がかかったのだ。
「そうだよ。」
美咲は、…その頃には、言語障害の方もずいぶん解消され、食事したり、話したりする程度なら、以前と変わらないくらいに改善されていたので…前から思っていた事を、今話す時だと語り始める。
「信じられない事だろうけど、言っておくね。
凉は・・・みんなの知っている凉の人格は、事故の時に死んだんだ。
彼が“死”を選んだんだおかげで、僕がここに来ることが、出来たって訳だけれど。」
と言うと、耕太郎は一瞬意味が分からないらしい。
「え?」
と、言葉を詰まらせる。それには構わず美咲は続けていった。
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