第一章
『新しい体へ』3話




 凉から、自分の”生”を生きてくれ。と、言われていたから。
 自分は凉ではない。
 その事実を、なぜだか彼に、訴えずにはいられなかったのである。
「・・・何かに悩んでたんだろうね、凉は。
 はっきり言って、僕は彼が死を選んで、昇天してゆくまでしか知らないから、詳しくは知らないけれど、暗い淀んだ瞳をしていた。」
「何を言ってるんだ?」
 耕太郎は、美咲の言葉をさえぎった。
「凉が死んでしまったのなら、お前は何なんだ。
 息をして生きているのが、おかしい事になってしまうだろうが。
 記憶を失くして元のお前の記憶がないから、そんな風に思うだけじゃないのか?」
 眉をひそめて言ってくる耕太郎に、美咲は
「凉は間違いなく死んだんだよ。
 嘘をついて、凉はこの中にいるよって、言ってあげてもいいんだけど、それは100パーセントない。
 今彼の体を動かしている僕は、本当に赤の他人なんだ。」
 言いつのる美咲を、見つめ返す耕太郎の視線は、相手を焼き尽くさんばかりに強列だ。
 思わず黙っておいたほうがよかったかも。と、思わせるくらいだ。
「・・・だったら、お前は何者だっていうんだよ。」
 しばらくの沈黙の後、地の底から湧いてくるような恐ろしい声で、耕太郎は問いかけてきた。
「みぃちゃん。」
「みーぃちゃん?」
 美咲の言葉に、耕太郎の声が裏返る。
「お前、猫か?」
 ガクッとひょうしぬけたらしく、体を前のめりに倒し、眉をひそめてつぶやいてくるのを、
「誤解しないでね。僕は動物霊でも、憑依霊でもないから。」
 と、慌てて美咲が説明すると、
「じゃあ、何なんだ?」
 と、顔をしかめてくる。耕太郎の頭の中で、恐ろしくいろんなことが検討されているようだ。今さらながら、中途半端な説明をしてもかえって誤解されるだけだろう。
「うーん。だから、みぃちゃん。だとしか言えない。」
 ポツンと返すと、
「はあぁ?」
 と、こんどこそ訳がわからない。とばかりに、耕太郎は首を横に振りだすのだった。そして、何か思い当たったらしく、クスクス小さく笑い出すと、
「確かに、お前は凉じゃないのは確かだな。あいつが死んだとか、どうとか別にして・・・。
 でも、それじゃあまるで、”逃げ”を選んだとしか思えないぞ?
 そんなやり方。許せねえな。
 人を轢いて殺してるんだ。もうダメなんじゃないのか?
 いい加減生きるのやめろよ。
 責任とって死ね。」
 うなるような低い声でつぶやいた耕太郎の瞳。
(何がダメなの?)
 思うほどだった。
 耕太郎の言葉は、明らかに事故以外の話を含んでいるからだ。
 けれども、凉の謎は詮索してはならない。
 彼に問う事は、昏睡状態?(幽体離脱?)時に誓った約束に引っかかってしまう話になってしまうから。
 だから、美咲は聞く事ができなかった。
 何も言えず、耕太郎の、まるで目で射殺すという表現がぴったりな目付きで、にらみつけられていると、寒気までしてくる。
「耕太郎には悪いけど、僕にはどうする事もできないんだ。
 凉はここにはいないんだ。
 他人の僕に、死ねなんて言わないでよ。」
 半ベソをかいて訴える美咲に、耕太郎は大きくため息をつく。
 首を振ってチラリと美咲を見てから、
「・・・この事は、凉の“お父様”や“お母様”には言わないほうがいいと思うぜ・・。」
 と言い、「今日はこれで帰るわ。」と、あっけないくらいに早く席を立ち、病室を出で行くのだった。
 残された美咲は、一気に息を吐き、さっきはどれだけ緊張していたのかを、思い知らされるのだった。
 それからの、美咲の入院生活は、グッと楽なものになった。
 耕太郎が、あんな説明でも、彼なりに納得したらしいのだ。
 後から思い返して、よく納得できたものだと逆に思ったくらいだったが、得体の知れない事態が起こっているのを、彼なりに感じ取ってくれたのかも知れなかった。
 凉=美咲に対して憎しみの感情を押しつける意義を失くした彼は、あっけないくらいに、“みいちゃん”に興味を失くしてしまった。
 美咲のほうが物足らないぐらいに思うくらいだった。
 逆に、入院生活に鬱屈し始めていた美咲は、耕太郎にいらぬちゃちゃを入れて、彼をうっとうしがらせるのだった。
 それからしばらくして、リハビリテーションも、上半身は順調に回復してゆく。
 けれども下半身の障害が厄介で、美咲を悩ませるのだったが、何とか自立歩行以外のことは、自分で出来るようにはなった。
 何しろ、麻痺の理由が病的なものではなかったものなので、回復度が違ったのだ。
 これには医局側をうならせ、『事故の一時的なショック状態からの離脱』と、納得させられたのだった。
 症状に安定が見られ、凉に退院の許可が下りたのは、事故から一ヶ月にもならない秋のことだった。




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