第二章
『家に戻る』3話
「退院祝いに親子みんなで食事をしようと思っていたのだけれど、お父様はお仕事で戻れなくなったのは、さっき本人から聞いたわよね。
ドタキャンするのは、いつもの事。今晩は二人で食事会だわ。」
ポツンと母親が、ささやいてくる。
この事は、さっき二人で言い合いをしていた内容の説明だろう。
家族水入らずで過ごそうと思っていた時間は、父の仕事に問題が起きたので、なくなってしまったのだと。
「僕はかまわない・・です。仕事が入ってしまったのなら・・・。」
美咲が答えると、彼女はチラリと見返してきたのみで、小さく鼻を鳴らして応えはない。
「いろいろ疲れたでしょう?凉。眠っておきなさい。」
言った言葉は、有無を言わさぬ口調。これは彼女のクセらしい。
あごを、心持ちあげて、上から目線で話す言い方は・・・。
(とっても、イヤな感じを受けるのですけれど~~。凉のお母様・・。)
と、彼女に接して、大した時間もかからないうちに、反発を覚えてしまった美咲なのだが、口にはしない。
「はい。」
と、とりあえずは素直に答えておいて、目をつむるのだった。
凉の母親と、凉の過去について、いろんな話を蒸し返されでもしたら、相手するのも大変そうだ。
(眠っておくに限るわ。)
なんて思って、同時にある事に気付く。
両親が来てからというもの、耕太郎が一言も言葉を発さなくなり、影のように存在感を薄くさせている事に。
両親の方も、耕太郎の存在を無視するかのように、振舞っているのにも気になった。
車の助手席に座り、だんまりを決め込めている彼の後ろ姿を、チラリと見てから、うかがうように母親を確認し、陰気な表情を認めて、慌てて目をつむる美咲なのだった。
・・・車の揺れは、思いのほか気持ちがよかった。結構熟睡していたらしい。母親の
「凉。着いたわよ。」
と、肩を叩かれてハッとなる。
一瞬、ここがどこだか分らない。けれども、すぐに病院を退院して、凉の家に行く所だったのだと、気が付くのだった。
共に車から出て、ア然となる。
白い大理石の壁が、終わりが分らないほど左右に続いていたのだ。
凉の家は、目の前に立ちはだかる玄関からして、普通の家とは違った。
巨大な鋳鉄製の、重厚な門扉が、白い壁をくり抜くようにして、存在していた。
(ひょっとしなくても凉の家って、すごい家?)
美咲があっけにとられている間に、共に降りた車の乗務員がインターフォンに、何かをつぶやく。
鋳鉄製の門扉が、ギギーともキーンともつかない音をたてて、自動制御で開いてゆくのだった。
そこから見えた、うっそうと茂る木々達の深い緑が、庭を暗くひっそりとさせたものになってしまっている。
苔むした庭の床。
整地された石畳が、緩やかなカーブを描いて、奥に向かっていた。
樹齢何年たっているか分らないような、見事なねじれを形成している松の木が、玄関近くに植えられていて、まず河田家に来た者を、出迎えるのである。
花を咲かせる草花は、ほとんどなく、背の高いモミの木や、何の木か美咲にもわからないなりにも、価値の高そうな木達が、絶妙な距離を保って植えられ、まっすぐに天に向かっていた。
耕太郎に車椅子を押されながら、庭を物珍しげにキョロキョロ見ている美咲に、母親が
「・・・少し歩くわよ。
ここに来てみると、何か思い出さないかしらね?この庭も、見憶えない?
子供の頃、凉はよく、遊んでいたのだけれど。」
と、声をかけられて、愛想笑いを返すしかない。美咲にはすべてが初めての景色だから。
申し訳ない表情で、母親を見上げると、彼女は小さく首を振り、
「まあいいわ。・・・まずは歩いてみましょう。」
と言って、歩みを早めるのだった。
高い木々がうっそうと茂り、昼間なのに暗い。ひんやりとした雰囲気をまとわりつかせている庭を三人は通りすぎる。
石畳を踏みしめる、車椅子のガタゴトいう音が耳についた。
道の左右には、丸く刈られた生垣が点在し、芝桜が群衆する。
ほどなくして深い森のような木群が消えた。
ぱっと開けた場所に来たかと思うと、そこは小高い丘のようになっている所らしい。
丘の向こうに、藍色の傾斜の高い大きな屋根が目に入った。
進むにつれて、だんだんと屋敷は姿を現す。
白大理石の煙突。続いて見える白漆喰の壁は、あちこちヒビが入り、くすんで重厚さをかもしだしていた。
建築当時は白く輝いていたのだろう。
窓のすべてには、ステンドグラスがはめ込まれていた。
横広がりに広がる屋敷だった。
なぜかゾクッと背筋に寒気が走る。
・・・畏怖に近い、恐怖のようなものを感じて青ざめる美咲に、母親は
「あら、感じるの?あなたにも。」
と、ポツリとつぶやく謎めいた言葉に(え?)となって、見上げるが、
母親は凉に返答を期待したものではなかったらしい。
ずんずん歩いて屋敷に近寄ってゆく。
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