第二章
『家に戻る』5話




 まさに、河田家の女帝。だった。
「かしこまりました。」
 田尻が、母親の後について返事し、さりげなくチラッと後ろを振り返った時の視線が、とっさに美咲には恐ろしく感じ、身をすくめた。
 彼女の業務用な笑顔の裏に、冷静に分析し、冷たい判断を下しているような素顔が、かい間見られたからかも知れない。
 母親は、体の向きをクルリと変え
「凉は、この階段を上がるより、エレベーターを使いなさい。裏にあるから、入ってきて頂戴。玄関ホールで、待っているから。」
 と、初めて母が耕太郎に話しかけた言葉がこれだった。
 彼はこくりとうなずき道を進む。チラリを振り返ると、
「明日の予定なのだけれど・・。」
 と、田尻に話しかけている。彼女は凉に見向きもせずに、玄関に向かっていった。
 ゆったりと回り道をする間、美咲は耕太郎に何か話そうとするのだけれど、口が動かない。
 耕太郎の方も、沈黙を守り、シーンとした中で、屋敷のそばをなぞる小道をゆらゆら揺られて進む。
 ほどなくして、裏側に回った二人に、白大理石の支柱が姿を現した。
 唐草模様に花柄が入り混じる瀟洒な模様入りの扉が埋まっている。
 これがエレベーターだろう。
 耕太郎が扉のそばにあるボタン押すと、ポンと音が鳴った。扉は滑らかに開き、中に入ると正面にも色違いの扉がある。
 同じように『開』のボタンを押して中に入ると、そこは玄関ホールだった。
 一面薄いグレイの絨毯が敷かれている。
 天井には、木製の明りが淡い光を発していて、とてもじゃないがホール全体を照らせない。
 そのために四方の壁の漆喰に埋め込まれている金具に蠟燭の形をした照明が点在していた。
 榛達が入って正面に、木目も美しい階段が優美に弧を描いている。
 田尻も、メイドもいなくなっていた。母だけがホールに立っていて、榛の姿を確認したらしい。
「とても使いやすいでしょ。このエレベーター。あのお父様が設置してくださったのよ。あなたのために。」
 と、近づきながら問いかけてくる。
「え?・・そうなんだ・・。」
(わざわざリフォームしてくれたんだ。)
 思わず振り返ってびっくりする美咲に、母はなぜだか、少しだけ寂しそうな笑みを浮かべた。
「・・・この屋敷は、大正時代に建築されて、あなたから見ると、曽祖父・・・いや、そのまたおじい様になるかしらね。
・・・・『河田亮吉』という人が立てたものなの。
 大理石で財をなした人で、今では代々の河田家の子息が住む屋敷といった感じかしら。
 見て、この壁の大理石も純国産の大理石だそうなのよ。初めて国産の大理石で、暖炉や、床や柱を建てる考案をだし、成功したらしい・・・。」
 白漆喰の壁の下半分には模様の細かく、色目の濃い大理石がはめ込まれて続く。
 これがそうなのだろう。
 漆喰の壁には、手すりが付いていた。
「・・・・はい。」
 いきなりの、屋敷の由来を説明されて戸惑う美咲に、母親は小さくため息をついて、
「いずれはこの手すりを使えるように、なって頂戴ね。
 お父様は、これもあなたのために、お付けになったのよ。後で、見せるつもりだけど、バスルームのことだって・・。
 この点は、褒めてさし上げるべき出来事だと思うわ。
 あなたも、一応はお礼を言っておきなさい。」
 そこまで語って一息つき、
「まあ、説明はここまででいいわ。こんな事話ったって、思い出すわけないし。
 二階に上がりましょう。室内用の車椅子に、乗り換えさせて。」
 前の言葉は榛に、後の言葉は耕太郎に、彼女は話す。
 視線でこっちに来なさいとばかりに顎をしゃくる。
 部屋の隅には、もう一つの車椅子が置いてあった。
 美咲は、耕太郎に手伝ってもらって部屋用車いすに乗り移る。
 そして、三人は再びエレベーターに入っていった。
 耕太郎は、すばやく『閉』のボタンを押し、スルスルの箱が滑らかにあがってゆく。
 ポンと、音が鳴るのを合図に扉が開くと、淡いローズ色の絨毯に、壁の上半分は白漆喰。
 下半分には一階とは少し違う色合いの、けれども濃いめの色の大理石が埋めてある壁が、美咲たちを出迎えた。
 エレベーターホールのようになっていた目前の空間の隅に、大きな壺と花瓶が置いてある。花瓶には、立派な大輪の花束が生けてある。
 正面には、一階から続く階段が、上の階にも続いていた。
 車椅子は滑らかに回れ左を向くと、中央に廊下。左側には男女別のトイレ。右に部屋が並んでいるのが、目に入る。
 右側のドアはどれも大振りな同じタイプで、一つ一つのドアには百合の花のステンドグラスが埋め込まれている。
 なんとなく落ちつかない。
 所どころに蠟燭の形をした照明ががフロアを照らす。
 淡いローズ色の絨毯の上を、なめらかに進む。
 ひとつだけ、引き戸になっている部屋。
 一番手前の部屋。ここが凉の部屋だった。




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