第二章
『家に戻る』9話




 凉の母親に事情を聞こうとして、彼女が帰ってくるのを待っていたのだが、2,3日は姿が見えない。
 父親は仕事に忙しく、美咲が寝入る頃には家に戻らず、起きる頃にはすでに出かけた後だ。
 昼間の河田邸には、閑散とした雰囲気が漂っていた。
 美咲は、リハビリのメニューをメインに組まれた、退屈すぎる毎日を過ごす。
 耕太郎の身を案じ、いてもたってもいられなくなって、納屋に向かおうとしても、外出用の車椅子がなくなっていたる。
 がっくりとなって、自分の部屋に戻ったその日の夕方、やっと母親が帰宅した。
 この時ばかりは喜びいさんで、玄関先で母親を出迎えた凉=美咲の姿を認めた母親が、目を見開いて
「あら、わざわざ出迎えなくてもいいのに。」
 一言言うと、さっさと玄関ホールを横切って階段を登って行ってしまうのである。
 おびただしい荷物と共に帰宅した母によって、屋敷中の雰囲気が慌ただしく変化した。
 従業員たちにテキパキと指図してゆく彼女は、やはりこの家の女帝だ。
 圧倒されてその場にたたずむ美咲を残して、騒がしい彼女ら一行が立ち去った後は、まるで海の潮が引いたかのようだった。
 ポツンと残された美咲は、
(納屋の件は、また後で話そう・・。)
 と、一人つぶやき自分で車椅子を押し、エレベーターに乗り込んで部屋にもどるのだった。
 部屋に戻った美咲に、食事の用意ができたと宮迫が呼びにくる。
 下に降り、母親の姿を探すが食卓には、いつも通りの一人分の用意しかされていない。
「お母様は?」
 と、思わず問いかける凉に、宮迫は一瞬だけ同情の笑みをもらして
「奥様は、ご自分の部屋で食事されますよ。」
 と、答えてくる。
(やっぱりそうか・・。)
 今回ばかりはがっかりする。
 美咲はいつものように、一人で食べるには豪勢な食事をすませ、部屋に戻った時に、
「話があるので、お母様に時間。都合付けてくださいって、頼んでもらえますか?」
 と、川尻に問いかけるのだった。
 凉の親子関係がどのようなものだったのか、よくわからないものの、母親に気軽に何でも話せるような関係では、ないような気がするからだった。
 突然3階に訪ねていっても、母親の都合が悪ければ、中に入れてもらえないかもしれない。
 そう思って言った美咲に、川尻は承知したとばかりにうなずき、
「わかりました。奥様に伝えておきますね。」
 と言って、姿を消すのだった。
 それから美咲は、母親からの返事をジッと待つ。
 いつもの風呂の時間になるものの、母親に用があるので、少し待ってくれるように言ってしばらくすると、彼女自ら姿を現したのだ。
 白いドレスのようなネグリジェを着ている彼女は、なぜか今度は西洋版幽霊。といった感じに見えるのはなぜか。
 髪の毛を下ろした姿は、白い服と相まって、それはそれで、とてつもなく陰気な雰囲気だ。
 とっさにギョッとなって、のけぞる美咲に
「用があるのですって?」
 けげんな顔で問いかけてくる言葉にハッとなって、口を開けた瞬間。彼女に先を越された。
「ちょうど良かった。私の方からも話があったから。
 学校に行って、確認取れたから。
 足の不自由な凉が過ごしやすいように、学校側にも手直しするようにも言ってあったのよ。あさっての月曜日から、行けるから、用意しておくようにね。
 それと、学力の事もあるでしょう。
 いい家庭教師も雇ったから・・・。」
 と、自分の要件をさっさと伝えてくる母親の言葉を、
「お母様。」
 と、意を決して美咲が母親の言葉をさえぎるようにして話しかけると、彼女は信じられない物を見たかのように固まってしまう。
 屋敷でも他の場所でも、自分のペースを崩されることなく、女王のように君臨しているだろ彼女にしたら、ペースを乱されるなんて思いもしなかったことなのかも知れない。
 もちろん元の凉も、母親が喋っている時に、話しかけたりはしなかったのだろうか。
 なんとなく、言葉をかけてからそう思ったのだけれど、もう遅い。
「学校のことはありがとう・・。」
 言葉を選んで美咲が話しかけると、母親は無表情なままでも、美咲の言葉を待ってくれている感じを受けて、言葉を続けた。けれど、
「僕、屋敷の外の納屋を見つけてしまったんだけれど・・・。」
 と、言いだすと、みるみる彼女の表情が険しくなってゆくのだ。
(耕太郎の件は、“お母様”が噛んでいないわけがないわよね!)
 心の中で叫ぶものの、美咲の中で、これだけは引く事は出来ない。つとめてさりげなく、軽い感じで
「僕、ずっと不思議に思っていたんです。
 入院中、耕太郎は良くしてくれたんで・・。一緒に暮らしているはずなのに、全然姿が見えないし、どうしてるのかなあって、気になっていたんですけど・・やっと見つけました。
 耕太郎、屋敷の外の納屋に住んでいるんですね。」
 と、話しかける美咲に、母親は、ただでさえ、無表情な様が、さらに感情が消えて、能面のようになってしまった表情で、
「・・・・耕太郎に会ったの?」
 ボソッとつぶやいてくる。
 美咲は一瞬、背筋がゾッと寒くなった。耕太郎の件は、母親の鬼門に当たる話題の一つだったのだ。
 美咲は、思わず唾を飲み込み、
「・・・会ってません。
 でも、どうして耕太郎はあんな所に住んでいるですか?」
 と、言った言葉は、彼女の中でリフレインされているのか、固まった表情のまま、しばらく返事がないのである。
「お・・かあ・・さま?」
 フリーズを起こしてしまったような彼女の様子に、不安になって問いかける美咲に、
「あ・・ああ。凉。一人で出かけるのは危ないからよしなさい。
 田尻に言っておかなければならないわね。家の管理をなんだと思っているのかしら・・。」
 と、眉をひそめてブツブツ言ってから、彼女はサッと背筋を伸ばすと、
「あさってから学校に、勉強に忙しくなるんだから、耕太郎にかまっている場合ではないでしょう。そのことは忘れなさい。
 あの子は自分から、あの厩を希望したようなものなのよ。
 明日の午前中には、家庭教師が来る予定になっているから、凉。食事は早めにすませて待っておくように。」
 と、言いたいことだけ言って、『これから、書類を片付けなきゃならなかったんだわ。』と、聞えよがしな一人言をつぶやいて、母親は凉の部屋から出て行ってしまうのである。
 ポツンと一人、残された美咲の耳には、彼女の言った
『あの子は自分から、あの厩を希望したようなものなのよ。』
 と、いう言葉ばかりが残ってしまう。
(自分から希望したようなものだなんて・・。全然意味わかんない。)
 一体、この河田家で、何があったのだろうか。
 ひょっとしなくても、凉が“死”を選んだ事情に関わっている案件かもしれなかった。
 けれども、これは耕太郎への謎なのだ。探索しても構わないはずだ。
(あんな所で、住むのは、絶対体に悪いんだし、けれど凉のお母様が、あそこまで話にならないなんて、思わなかった・・。
 どうしよう・・)
 悩む美咲に、ポーン。呼び出し音が鳴って、メイドの宮迫が姿を現し、
「お風呂の準備が整っておりますが・・。」
 と、聞いてくるので、
「ああ。お願いします。」
 と、上の空で、返事するのだった。
 母親の言うとおり、学校が始まってしまって、おまけに家庭教師までつくとなると、毎日が忙しく、のんびり対策を練っている場合ではなさそうだ。
 心がここにあらずといった感じでも、すべての動作が他人の手によってすむこの環境は、考え方を変えれば贅沢な身分かも知れなかった。
 メイドにひかれる車椅子は、凉の体が清潔かつ下半身の機能改善のためのマッサージを受けるべく、バスルームに向かってゆくのだった。




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