第二章
『家に戻る』第13話
次の日曜日の朝、目が覚めると爽快だった。
昨日の体のだるさが嘘のようで、気分良く朝食を食べようと一階に降りた美咲は、食堂に見慣れた姿が座っているのに、びっくりする。
いつも美咲が座る席の目前を、陣取っている彼は・・。
静かな表情で、美咲に気付くと手をあげた。
「こーたろー。こっちに住むことにしたの?」
(よかったあ。屋敷を選んでくれて・・。)
飛び上がらんばかりに大喜びして問いかける美咲に、彼は斜に構えた顔のまま、
「言った通り、お前を利用させてもらうぜ。」
と、言う彼の顔色は、何かを決意したかのように固く、緊張感が感じられた。
むしろ清々しいまでの表情の彼を見て、美咲は心底うれしくなって、
「そうだよ。利用する所は利用しなくっちゃ。どんどんしてくれたらいいから。」
と、満面の笑みを浮かべて話す美咲に、耕太郎は一瞬だけのけぞって、首をふり、
「ミーって、ホント変わっている。」
と、言ってくる。
「そうかなあ。」
とぼける美咲に耕太郎は、
「とにかく食べるぞ。」
と言って、ものすごい速さで朝食を平らげてゆくのである。
自然、美咲もあわてて食べ物を口にほおりこんでゆく。
しばらくナイフとフォークが重なる音や、咀嚼音だけが食堂に響き渡り、その沈黙に耐えられなくなった美咲が、
「ここのご飯おいしいんだよ。だいたい朝食は、洋食系かなあ。」
と喋りかけてゆくと、
「そんな事ぐらい知ってるぞ。ここに住むのは、ミーよりも長いんだから。」
と、口をモグモグさせながら、耕太郎は返事する。
「そうだよね。」
答えながら、美咲は耕太郎が始めから、納屋に住んでいたわけではなかったのだと推測する。そして、二人で囲む食事はおいしいものだと、つくづく思うのだった。
耕太郎の食べる量に影響されたのか、それとも体調が整ってきたせいか、すばらしくたくさんの量を食べることができた。
「引っ越しの片付けは済んだの?手伝おうか?」
食後のコーヒーだけは、ゆったり飲む美咲が聞くと、
「お前がか?」
と、片眉だけをあげて逆に聞いてくる。
「僕にだって出来ることがあるよ。ご馳走さま。」
言って美咲は、カップを置くと、そばに控えていたメイドが車椅子を引こうとしてくる。
「あっ、車椅子は耕太郎に頼みますのでいいですよ。」
耕太郎の了承を得ずに断り、にっこり笑った美咲は
「いいよね。」
と、事後承諾と言う感じで問いかけると、耕太郎は鼻で荒く息を吐くと、立ち上がってハンドルを握った。
「凉様には、お世話になっているからな。俺には断る権利がない。」
嫌味をいいながら、車椅子を引くのである。
「そうだね。車椅子ぐらい引いてもらわなくちゃ。」
キャッキャと笑いながら言う美咲の後ろで、耕太郎がガックリと肩を落とし、
「なんか、憎めねえ。こいつ・・。」
と、小さくささやくのに、美咲は気が付かないのだった。
二人は2階にたどりつくと、耕太郎の手伝いをすると言い張る美咲に押された形になって、彼の部屋に向かってゆく。
耕太郎の部屋は、一番奥の部屋をあてがわれていた。
ドアを開けて、二人は中に入ってゆく。
間取りはほとんど凉の部屋と変わらず、クリーム色の絨毯に、白い壁が四方を囲む。広い居間とベットルーム。
窓も凉の部屋と同じ、出入り口から見て真正面の壁をくり抜く形であり、半分換気のためか開けてあった。
中はすでに、整理されているように見えた。
もともと納屋に置いてあったもののほとんどは、衣装ケースに入れられていた上に、私物が少なすぎるのだ。
納屋にあった錆びた事務机の上に、ポンと手編みの古い人形が置かれている。
「・・もう整理できてんじゃない?」
家具がほとんどない分、むしろ凉の部屋よりも、広く見える居間を見渡して言うと、車椅子を中まで押した耕太郎は、サッと手を放し、忙しげにベットルームに向かった。
「いや。まだあるぜ。」
言いながら、ベットルームに置いてあった衣装ケースから、ロープを取り出す。何か悩むそぶりを見せたが、また違う衣装ケースから工具箱を取り出し、金槌と大きめのクギを出した。
美咲の見ている前で、ベットルームの木の鴨居の部分の端から端にクギを打って、あっという間にロープを張ってしまうのである。
チラッと挑戦的な表情で、美咲の方を向いて、
「見えない場所に打っておいたから、傷は一見、分らないはずだ。文句ある?」
と、言ってくるのを、美咲は他人事のように
「いいんじゃない。見えないんだったら。」
と、答えておく。
その言い草が受けたようで、フッと笑うと、
「見えなかったらな。でも、ロープを張っているのを、凉のお母様が見つけたら、どう言うかな?」
聞いてくるので、
「その時はその時さ。彼女はそもそも、耕太郎の部屋に入ってこないんじゃないの?」
と、美咲が答えると、彼はいきなりケラケラ笑いだすのである。
「なっ何だよ・・。」
戸惑ってつぶやく美咲に、耕太郎は腹を抱えたままの姿勢で
「・・・ここの屋敷の連中は、凉の母親の顔色ばかりを窺っているんだぜ。・・元の凉だって、そりゃあ凄いもんだった。
お前が凉じゃないのは分かっているけれど・・そこまであっけらかんとされると、気持ちがいいくらいだ。」
と、息もたえだえといった調子でいってくるのである。
「それってどうゆう意味?嫌味?」
口を膨らませて言う美咲に、彼は片目をつむった状態で、
「褒めてるんだよ。」
と、答えてくる。
「本当?」
素直に喜ぶ美咲に、これまたうけたようで、フッと笑う。
耕太郎は、どんどん衣類を、手際よくロープにかけてゆく。それが終ると、参考書類を取り出し、机の上や、引き出しに入れてゆく。
手縫いぬいぐるみは、また納屋にあったと同じように、衣装ケースの上に置かれた。
そこでチラッと、美咲を確認してから、
「今日はこんな所でいいか。」
と言って、事務机とセットになっている、椅子の背もたれをまたいで座り、ニヤリと笑うと、
「では凉様。だいたいの整理がつきましたので、次はどう致しましょう。
俺は本日バイトが休みですので、一日お相手ができますが。」
と、言ってくるのである。
ぼんやり彼の姿を見つめていた美咲は、目をパチクリさせてしまった。
「どう致しましょうって言ったって・・。」
何にも考えていなかったので、オロオロしてしまった。
(今日一日、一緒にいられるのだったら・・・。)
自然、顔がニヤけてくる。
日常生活のすべてを快適にすごす美咲であっても、一人では叶えられない事が一つあった。
ずっと食べたいと思っていても、食べれなかったもの・・・。
「パンが食べたい。」
顔を輝かせて言う美咲に、耕太郎は首をかしげた。
「パン?パンなら毎日食べているじゃないか。」
「市販のパンじゃないよ。自分で作るんだ。粉を練る所から始めるんだよ。
できたてのパンはおいしいよ。パン・・といっても、ミルクパンなんだ。
・・・耕太郎、一緒にミルクパンを作ってくれない?」
問いかける美咲に、耕太郎はコクンとうなずき、
「いいけど・・・それこそ勝手に出来ないんじゃないか?」
と、つぶやくのを、美咲はあっと口を開けてうなずき、ハンドリムを握ると
「”お母様”がいるかどうか、見てくるよ。耕太郎、ちょっと待っていてくれる?」
と言い置いて、耕太郎の部屋を出てゆくのである。
top
back next