第二章
『家に戻る』第14 話





 3階に上がった美咲は、父と母がいるかどうかのチェックをすませる。
 案の定母はいない。父も平日の昼間にいるわけがない。それを確認すると、すぐさま2階に降りていった。
「両方ともいなかったよ。僕、これから厨房に掛け合ってくる。」
 耕太郎の部屋をのぞき、中には入らず、勢い込んで言う美咲に耕太郎は、
「それは、俺がやってやるよ。厨房のオヤジとは、仲がいいんだ。おかげで食べる不自由はしなかったんだからな。」
「そんなに痩せていて?」
 目を丸くして聞く美咲に、耕太郎は口をとんがらせて、
「ばか。これは一気に背が伸びたから太れないんだよ。服までがどれも入らなくなってきて、困るくらいだったんだ。
 ここのスタッフの人が服を差し入れてくれて、それで助かっているんだけれどな。・・・別にお前に情けをかけてもらわなくったって、何とかやっていたんだぞ。」
「どうもすみませんでした。それで、ホントに厨房に掛け合ってくれるの?」
 美咲が聞くと、耕太郎はコクンとうなずき、ニヤーと笑うと
「凉様がパンを焼きたいと、おっしゃっているんだ。旦那さまと奥様がいないんだったら、誰も文句は言えないだろう。
 自分の部屋で待っていてくれるか?」
 と、耕太郎に言われて、美咲は口を膨らませた。
「凉様、凉様って・・・そうだよ。早く厨房にかけあってくれたまえ。」
 と、いちいち耕太郎の嫌味にとりあってられない。やけくそになって言う美咲に、彼は一礼し、
「では、また後ほど。」
 と、慇懃無礼に言ってくるのである。
 美咲はなぜだかムッとして、乱暴に車椅子をおして部屋を出て行くのだった。
 自分の部屋に戻ってから、なぜムッとなったのか、いまいちわからなく首を振る。
 けれど、焼きたての、手作りパンをまた食べられると思うと、自然に笑みがこぼれてくるのだった。
「そうだ。水無月さんには今日くらい、午前の入浴と、リハビリを休ませてもらおう・・。」
 と、大切なことを思い出し、一人つぶやくと、呼び出しスイッチを押した。やってきたメイドに、その事を水無月に伝えてもらうように言う。ほどなくして、耕太郎ではなく水無月本人が姿を表わした。
「あれ?水無月さん。午前中は休むって伝えてもらったはずだけれど・・・。」
 とまどう美咲に、彼女はとがめる表情で、
「その件なんです。昨日も家庭教師がやってきて、休んだでしょう?
 今日もリハビリを休んだとすると、せっかくの努力が水の泡じゃないですか。それだけじゃなくても、明日から凉様、学校がはじまって、今までのように出来ないのに・・。
 メニューにもよりますが、凉様の場合は、毎日してこそ効果が期待されるんですよ。」
 と言ってくるのである。
「そ・そうなんだけれど・・。今日はすることがあって・・。」
 声が小さくなりながも訴えかける美咲に、水無月は少しの間考えていたものの、ポンと手をたたき、
「まあ、学校の事もあるし、今日しなかったらどうにかなってしまうという訳ではありませんけれどね。
 メニューは今まで通りいかないのは、わかっていたけれど・・今日は3分だけでもリハビリテーションをしましょう。
 明日からは、学校に出かける前に、体をほぐす効果のある、軽いストレッチができるようなメニューを組んでありますので、がんばりましょうね。
 毎日の努力が、成果につながってゆきますよ。」
 と、ニッコリ笑って言ってくれたのである。美咲は思わず手を合し、
「そうしてくれると助かります。ありがとう。」
 と答えると、
「じゃあ、すぐにも始めましょうか。」
 と声をかけてくるのである。そこで
「厨房のオヤジのOKがとれたぜ。」
 と耕太郎が入ってくる。
 ハンドリムを握り、ベットルームに向かおうとしていた美咲はともかく水無月が、飛びあがらんばかりの勢いで、びっくりした。
「あっ。あの・・。」
 耕太郎も戸惑った表情になるのを、美咲はなぜだか小気味よい気分(耕太郎に対していじわるな気持ち)で眺め、
「僕の下半身のリハビリと、マッサージをしてくれている看護師の水無月さんなんだ。
 いとこの耕太郎です。今日からこの家に移り住む事ができるようになったですよ。」
 両方に紹介すると、水無月が顔をパッと輝かせて、
「はじめまして水無月です。
 よかったじゃないですか。
 凉様が心配していたんですよ。納屋で暮らしているいとこがいるって。
 どうしたらいいか、相談を受けた事があって、私は力になってさし上げる事ができなかったんです。」
 と、天真爛漫に言ってくる水無月に、この屋敷に住みたくなかった耕太郎は、何と言ったらいいのか分らないらしい。
 ぎこちない笑みを浮かべて、
「はあ・・。」
 とだけ答えるのを、美咲もなんとも言えない気分で見つめていた。
「さあ。さっさと済ませてしまいましょうね。ベットに向かいますよ。」
 二人のちょっとした沈黙に、全く気が付かない水無月は、美咲の耳元でそう囁くと、振り返って耕太郎には
「耕太郎さん。3分だけ待ってくださいね。全くしないのと、するのとは全然違うと思いますので。」
 と、言ってゆく。
「・・・・俺は別に・・。」
 半笑いの表情のまま、首をかしげる耕太郎に、水無月はニッコリ笑って車椅子を、ベットのすぐ側まで押してゆく。
 美咲は水無月に手伝ってもらいながら、ベットの上に横たわり、まずはマッサージをうけた。
 それを手早くすませた水無月は、次に関節を柔らかくするためのストレッチ。足に意識を集中させるイメージトレーニングを行い、再び車椅子に移乗すると、終了だった。
「早ぁーい。」
 小さく叫び声をあげる美咲に、彼女はニッコリ笑い、
「早くしないと、お昼になってしまうわ。これから二人でどこかに行くんですか?」
 と、問いかけてくるのに、美咲も笑顔を向けた。
「今からパンを作るんです。粉から作る自家製のパンが食べたくって・・・耕太郎にも手伝ってもらうんです。」
「それじゃあ。早く行かないといけませんね。」
 ニッと笑って水無月は、車椅子を耕太郎の側まで持ってゆく。
「ありがとうございした。」
 と礼を言う美咲の車椅子のハンドルの持ち手は、水無月から耕太郎に代わり、
「いってらっしゃいませ。おいしいパンが出来るといいですね。」
 と言う彼女の言葉に見送られて、部屋を出てゆくのだった。
 車椅子は廊下を進み、エレベーターに乗り込むと、そこで耕太郎が口を開いた。
「お前、水無月さんに俺の事を、何と言っていたんだ?」
「何も言っていないよ。納屋に住んでいるいとこがいる。どうにかならないかなあって言っただけで・・。」
「ふーん。」
 自分でふっておいて、興味なさげに答えた耕太郎は、
「ところで、さすが河田家の御曹司だな。専属の看護師が付くなんて・・・・それでお前の足、治りそうか?」
 と、言ってくるのである。
「治ったらいいんだけれど・・・・」
 言葉を濁す美咲。
 在宅で、贅沢なケアを受けているのにもかかわらず、入院中から感じていた理由のない『凉のこの足は、この後も自由がきかないのではないか。と思う下肢の麻痺状態』の感覚は変わりなかった。
 とはいえ、水無月の丁寧な仕事ぶりをみるにつけ、万分の一でも凉の足は動いてくれるようになるかもしれない。と、希望をもってしまうのは事実。
 駄目だと言葉に出してしまうと、それが確定になってしまうような気がした。そんな事、口に出して言えなかったのだった。
 美咲の重い表情を見たからか、それ以上耕太郎は軽口を叩いてこない。
 自然、シーンとなったエレベーター中では、一階にたどりつくとポンと音を立てる。


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