第三章
『学校へ』 第1話





 凉の中にいるのが、車に轢かれた被害者だとわかったからなのか、それとも女性であるとバレたからなのか。耕太郎の美咲への接し方が、何となく変化したように感じるのである。
 気のせいかも知れない。とはいえ、乱暴な物言いは相変わらずだとしても、彼の美咲を見る視線の中に、庇護欲をかきたてられたような感情が、見え隠れする。
 そんな視線に、イヤな気はしないでもない。なぜかかえって心地よく、こんな状況下で理解してくれる人が出来たのを、美咲は心の中でうれしく思ったくらいだったのだった。
 次の日は月曜日で、この日から学校が始まるというので、いつもより早くにメイドによって起こされた美咲は、着替えもろくにすることなく、部屋に持って来られた朝食を、口に入れる。
 食事が終って一服した後、水無月が姿を現した。
「おはようございます。
 朝のメニューとして、まずは体を温めるために入浴をして、軽くマッサージかストレッチをする方法を考えてきたのですけれど、どうします?」
 と、聞いてくるので、美咲は
「お願いします。」
 と答えるのだった。水無月はニッコリ笑みを浮かべ、
「わかりました。当分その方法で、効果のほどを見ていきましょうね。」
 と、言ってくる。
 水無月の指示のもとで、お湯に浸かり体を温めた美咲は、朝の慌ただしい時間内のリハビリをすます。
 彼女のメニューは血流を促し、車椅子生活で固まりやすくなる関節を柔らかくしつつ、麻痺を改善してゆく方法をとるらしいのは、何日かを共に過ごした美咲にもわかるのだった。
 短い時間ながらも、ホクホクになって汗ばむくらいになる体を実感し、美咲は毎度のように思う。凉の下半身を見つめては、
(ここまでケアをしてもらっているんだから、動いてくれないかなあ・・。)
 と、淡い期待をもってしまうのである。
 美咲の思いとは裏腹に、凉の下半身は動く気配は見られなかった。
「お疲れ様でした。」
 水無月は美咲ほど、リハビリの劇的な効果を期待していないらしい。動かないままの下半身を、ポンと軽くたたいて終了の合図とした。
「ありがとう。」
 例を言う美咲に、ニッコリ笑みを返して、水無月は用意されていた制服を手にとった。
「今日から学校ですね。緊張しますか?」
 と、話を振られて美咲は動揺した。
「その話はしないで下さいよお。記憶がないもんで・・ピンとこないんです。
 どんな学園生活が始まるのか・・・。」
「ドキドキですか?」
「だから、その話はやだって言ってるじゃないですかっ。」
 プーと口を膨らませる美咲に、水無月はケラケラ笑って、
「大丈夫ですよ。凉様ならどんな学校でもやっていけますって。」
 と言いながら、手際よく制服を着せてゆくのである。
「・・・・なにを根拠にそんな無責任な事言えるんですか。」
 言い募っても、水無月には通じない。
「いいなあ。私ももう一度学園生活を送ってみたいなあ。」
 と、まで言い出すものだから、美咲はそれ以上何も言う気がしなくなったのだった。
 今日から学校が始まる。
 かつて凉が通っていた学校に、凉の体を借りた美咲が通うようになる。
 学校側には、凉の母親が話を通しておいてくれたので、記憶を失っている事と、車椅子生活になっているのは、周知の事実として受け入れてくれているはずだった。
 けれども、先生や、クラスメートが知るかつての凉の姿に、美咲自身翻弄されるだろうな。とは思うのである。
(今までが、恵まれすぎていたのかも知れない・・。)
 ほとんど屋敷にいない両親と、リフォームされた部屋のおかげで、快適に過ごしていた美咲はそう思うのだった。
 学校の事を考えると、思わず逃げ腰になってしまう美咲にはおかまいなしに、水無月とメイドによって支度がなされ、強制的に荷物の説明を受けると、車椅子は下に降りた。
 玄関を出ると、すぐ側に一台の車が待機している。
 もちろん両親の姿はない。幾人かが、見送りのためらしい。立って凉が来るのを待っていた。
 車の側に、耕太郎の姿があるのを認めて、美咲は
「耕太郎も、一緒の学校?」
 と、聞くと
「あぁ。」
 と短い返事が返ってくる。
「凉の送り迎えを、奥様からことづかったんだ。」
「いつの間に、そんな話をしたの?ひょっとして、部屋の中のロープ、見つかっちゃった?」
 口を開けて問う美咲に、耕太郎は冷たい表情のまま、
「凉のお母様に、屋敷に住むように言われた時だよ。」
 と言い返してくるのみ。耕太郎は無言で美咲を、車椅子から車の中に移乗させるのだった。厨房以外の従業員を目前にすると、耕太郎はいつもと違う顔を見せる。
 玄関先には、使用人頭の田尻と、丸川と、幾人かのメイドが立ち、
「行ってらっしゃいませ。」
 と、見送るのである。美咲は引きつる笑顔を浮かべて、ペコンと頭を下げる。
「・・・そういえばあの時、凉のお母様は何か聞きたそうにしていたけれど・・・。」
 車の中に一緒に入り、車が進みだしてやっと耕太郎が、運転手に聞かれないようにコソッと話しかけてくる。
「ひょっとして、ミーの事がばれてるのか?」
 耕太郎はいらない所でカンがいい。
「・・・ひょっとしなくても、ばれちゃってるわ。」
 美咲が答えると、耕太郎はのけぞって
「マジ?それってヤバくないか?・・・凉が死んでしまった事も?」
 と、思わず声を荒げて、それが運転手の耳に入ってしまったらしい。彼の肩がピクッと震えるのを見て、耕太郎は口を閉じ、
「凉、あの事故で死ななくってよかったよなあ。学校行けるくらいになったんだから。」
 と、わざとらしく大きな声で弁解する。
「ああ。ここまで回復できるなんて思わなかった。」
 美咲も返事する。
 しばらく二人は沈黙し、美咲はこれだけは言っておかなければいけないと思い、
「凉が死んだ事までは、ばれていないの。記憶喪失が治って、凉の人格が出てきた時のために、環境をかえないようにって言われたわ。」
 と、小声でささやくと、耕太郎は一瞬なんともいえない表情で、美咲を見つめてくる。
「バレたとしても、凉のお母様は状況を把握する事はできないだろうな。変な風に誤解されて、大変なことになると思うし・・・凉の死の事は、これからもバレないように、注意しな。」
 前を向く彼がささやいてくる。美咲はコクンとうなづき、
「そうよね。」
 と、答えるのだった。
 凉の学校は、足の麻痺さえなかったら、自転車で通える距離だろう。車は10分もたたないうちに、学校に到着する。
(とうとう着いちゃったわ・・・。)
 不安ばかりが先にたつ。だからといって凉でいる限り、逃げるわけにはいかない。
 美咲は、緊張の面持ちで車窓から見える、校舎を見上げるのだった。




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