第三章
『学校へ』第2話







 さすが凉の通う学校だ。
 車から降りて、車椅子に移乗した美咲は、校舎の瀟洒なたたずまいにあんぐりと口を開けたのだった。
 総大理石の乳白色の外壁が、秋の陽光を受けて光り輝いている。
 堅牢な城を連想させられるような外観だった。
 凝ったつくりの柱や、半円の窓のほとんどが開け放たれている。中の白いカーテンがはためいていた。
「・・・。」
 ぼんやり見ていた美咲に、おかまいなしの耕太郎は、車椅子を押してドンドン進んでゆく。
 事故以来、初登校ということなので、他の生徒が来る前に到着した二人は、荷物を受け取ると、正面玄関から中に入ってゆくのだった。
 校庭は整地され、花壇には様々な花が咲き乱れている。そこを横切り、入口のスロープを渡って校舎に入ると、耕太郎はまずは職員室に顔を出した。
 すでに教員たちはそろっていて、朝の朝礼らしいものをしている。
 ドアを開けて顔を出した美咲に、ドッと視線が集まった。
「・・・・河田凉です。今日からお願いします。」
 何か言おうとして言いよどむ美咲の代わりに、耕太郎が口を出した。
「あぁ。聞いているよ、河田君。大変だったね。」
 出口のすぐ近くのデスクの横に立っていた、一人の男性教師が答えてくる。
「はい・・。」
(この先生が、担任なのかしら・・。)
 見上げて答える美咲の表情が、不思議そうに見えたのかも知れない。彼は視線を泳がして
「記憶が・・・・なんだね。初めまして・・でいいかな?
 私が河田君の担任をしている岡野です。いろいろ戸惑う事があるだろうけれど、できるだけ学校側もバックアップしてゆくからね。
 困ったことがあれば、遠慮なく相談してくれればいいから・・・。」
 と、首をかしげて言ってくるのに、美咲は緊張の面持ちで
「はい。」
 と答える。岡野はそんな美咲をジッと見つめ、ニッコリ笑うと、
「まずは自分の教室に行こうか。もうそろそろ朝礼も終わるから、廊下で待っていてくれ。」
 と言い置くと、ドアを閉めた。
 担任の岡野が出てくるのを待っていると、改めて緊張度が増してくる。
 何気なく下を見つめた美咲の目に、入ってきた青灰色の床も大理石だ。
 シンと静まりかえった巨大な建物ほど、居心地の悪いものはない。美咲にとっては自分がここにいるのが、場違いな感じさえしてくるほどだった。
「ミー。大丈夫か?」
 美咲が緊張のあまり、顔色が悪くなってくるのを気遣って、耕太郎が話しかけくる。
「大丈夫よ。」
 美咲が答えた時、職員室のドアが開いて、たくさんの教師達が姿を現した。
 岡野の姿を認めると、三人は新設されたエレベーターに向かい、岡野が三階のボタンを押すのを見て、美咲は凉の教室は三階にあるのだと、思うのだった。
 岡野は何も言わない。妙にシーンと静まりかえったエレベーターの中も、居心地悪いものだった。
 三階に到着すると、教室がずらりと並ぶ廊下が目に入る。
 ワックスのきいたリノリウムの床が、陽の光を受けて輝いていた。
「河田君の教室は、3―Aだよ。エレベーターから一番近い、あそこの教室なんだ。」
 岡野が指さす方向に、美咲が目をやると、彼が言った通り、3−Aと書かれた板が見えた。
「記憶喪失の件があるので、組を変えてみるとか、いろいろ職員の間で相談したんだが・・・もし記憶が戻った時のことを考え併せて、そんな小細工をしないほうがいいんじゃないかということになってね。」
「はい。」
 美咲が返事すると、彼はうなずき、
「教室の中で、みんなが来るのを待つのは、負担だね。相談室があるから、時間が来て私が呼びに来るまで、そこで過ごしていなさい。」
 岡野は言うと、こっちへ。と指をさす。
 三人は教室を通りすぎ、渡り廊下を通り、違う校舎に入ると、そこは実験室やら、調理室。音楽室やらがある所らしい。
 同じ三階の奥まった所に、相談室があった。
 スクールカウンセラー。石川節子と小さく名札が掲げられてあった。
 岡野はドアをノックし、中に入ってゆくと、そこは小さな小部屋になっていて、一人の女性がテーブルに座って本を読んでいるところだった。
「石川さん。河田凉くんです。」
 岡野が話しかけてやっと彼女は、来訪者がきたことに気付き、顔をあげると「あぁ・・。おはようございます。」
 と答えるのである。岡野がそんな彼女に、首をかしげ小さくため息をつく。
 石川は、瞳を泳がせて立ち上がり、
「はじめまして。石川です。どうぞ、イスに座ってください。」
 と、部屋の左側に陣取るテーブルとセットになっているソファをすすめてくるのである。
「ホームルームが始まり、河田くんを呼びに来るまで、ここで待機させますので、よろしくお願いします。」
 岡野が事務的に言うのを、石川はキョトキョトと目をしばたかせて
「はい。」
 と、答えるのみ。ちょっとした沈黙の後、
「じゃあ、河田くん。後で・・。で、こっちの河田君は自分のクラスに戻っていなさい。」
 と、岡野は耕太郎をうながし、心配げに美咲を見つめる彼の肩を軽くたたいくと、ふたりいっぺんに部屋を出て行ってしまうのである。
「・・・・。」
 残された美咲が不安げな表情をしていると、石川は自信なげな笑顔を浮かべ、
「どうぞ。・・・ソファに、って言ったって、もう車椅子に座っているわよね。」
 自分で言って自分で結論を出し、
「どうしよう・・。」
 と一人言をいっては、その場でウロウロし始めるのである。
 落ち着かないカウンセラーだ。
(何を言っているの?この人。)
 と美咲がだんまりを決め込んでいると、石川は引きつった笑みを浮かべて
「初登校だね。緊張してる?」
 と聞いてくるのだ。
「はい。」
 美咲が短く答えると、そこから後が続かない。石川は深く息を吐き、救いを求める瞳で見つめてくるものだから、さすがの美咲も
(この人、本当にスクールカウンセラー?)
 と疑問に思い、
「あの・・石川先生。僕、少し考えたいことがあるので、無理に話しかけてこなくてもいいですよ。」
 と、言ってしまったのだった。石川は美咲の言葉にショックを受けたかのように動きを止め、肩を落としてしまうのである。
 何だか気の毒なことをしてしまったかのような、気持ちになってしまったのだった。
 その後、極めて気まずい雰囲気の中で、時間をつぶしていた美咲は、岡野が顔を出した時、彼の顔が救いの神のように見えたのである。
 とうとうかつての凉のクラスメートに、対面しなければならないのを、一瞬忘れてしまったほどだった。




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