第三章
『学校へ』第3話(上)





「河田くんが帰って来ました。・・・みんなも知っての通り。記憶をなくし、車椅子の生活なので、彼には温かい気持ちでもって、手助けしてやってほしい。」
 共に教室に入った岡野が、凉を紹介する。
 シンと静まりかえった教室内の生徒達はみな無表情だった。
 無機質な注目を浴びた美咲は、ぞっと寒気が走り、背筋が凍りつくのは、まさにこのことを言うのだと、実感したくらいだった。
「河田君。・・・君の以前の席は、席替えをしているので、とりあえずは一番後ろの席を用意したんだ。橋本君。河田君を後の席に案内してやってくれ。」
 岡野が淡々とした調子で指図をすると、一番前の真ん中の席に座っていた男子が、
「はい。」
 と返事をして、立ちあがった。
 彼は凉=美咲には何も言わず、黙って車椅子のハンドルを持つと、妙になれたしぐさで車椅子を移動させる。
 仮面をかぶったかのように、感情の見えない生徒達の間を、車椅子は滑らかに進み、指定された机の前までたどり着く。車椅子はターンして、切り返すことなく一度でスーと机の下に入り込んだ。
(この子・・とても慣れているわ・・。)
 たったそれだけのことで、敵地の中で、味方を見つけたような気分になる。
「・・・では、ホームルームはこれで終わりです。」
 岡野は言って、教室を出て行った瞬間、すぐ前に座っていた男子生徒がクルッと振り返り、
「河田。お前、本当に何もかも覚えていないのか?」
 と、興味津々な表情で聞いてくるのである。同時に、クラス全員がザーと振り返って、凉=美咲を見つめてくる。みんなの興味を丸出しにした視線を浴びて、
「えっ?・・あぁ。そうなんだ。」
(早速きたわ・・。)
 クラスメートの質問攻めは、想定はしていたとはいえ、美咲は恐慌をきたしたように震えがくるのはどうしてなのだろうか。
「あの・・君の名前は・・・?」
 戸惑いがちに聞く美咲に、彼は目を見開き、
「何かすげー不思議な気分だよ。俺の名前は木下和彦。実は俺とお前、仲が良かったんだぜ。・・ほら、左向こう隣りのやたらガタイのでかい男がいるだろ?
 あいつが野村剛で、一番前の右端に座っている、ヒョロッと小さい眼鏡をかけた奴が村田純一。って言うんだけど・・あいつ等の事も…覚えていないんだよなあ。」
 と言ってくるままに視線を泳がせ、木下の言うとおりの特徴の男子生徒を確認すると、美咲は首を横に振った。
 クラスの全員が、岡野がいた時とは全然違う。目を輝かせて木下とのやりとりに聞き入っていて、その複数の視線が痛いぐらいだった。
「・・・うん。ごめんよ。自分の事も覚えていない有様なんだ。」
 と、小さくなってしまう声で、美咲が答えると、木下は視線を泳がせてサッと席を立つと、村田と言われた眼鏡の男の元に走っていって、チラッと凉=美咲の方を見つめては、コソコソ話し出すのである。
 何を話しているのか分らないなりにも、どうも感じが悪い。
(あの男子と凉は本当に仲が良かったのかしら・・・。)
 早速、疑問に思ってしまう。
 木下が席を立ったことによって、クラス全員がざわめきだし、
「まじぃー。何も覚えていないのかよ。」
 とか、
「足が動かないんでしょ?私なら、自殺しちゃうわ。」
 とか、凉が事故を起こして障害を負ってしまった事に対して、冷静なコメントをしあっている。
 そのほとんどに、善意が見られない。
(このクラスは最低だわ!)
 青ざめた表情ですくむ美咲は、心の中で叫び声をあげた。




 ・・・その後、美咲が初めに感じたクラスの印象は、変わることはなかった。
 興味津々な視線を向けるものの、美咲が何か話そうと口を開けると、みな視線を外すのだ。
 一人っきりで、車椅子を押して、慣れない音楽室に向かったり、トイレに行ったりする学園生活が始まった。
 そんな中で、美咲の持ち物がよく無くなるようになった。
 おかしいなあと思っているうちに、紛失物が自分で入れるわけがないゴミ箱に入っているのを確認し、机に『死に損ない』などの落書きを目にした瞬間、めまいが走る。
 ”いじめ”だ。と思った。
(どうしたらいいんだろう・・。)
 と、頭を抱えたが、誰がこんな事をしてきているのかが、分からないのだ。
 行動をおこしようがなかった。
 暗い顔をして、毎日をすごす美咲に気付いた耕太郎が
「ミー、学校でうまくいっていないのか?」
 なんて聞いてくるのだが、なぜだか彼に相談できない。
(こーたろーに迷惑がかかる・・。)
 と、思ったのもあったが、美咲なりにもある、ちょっとしたプライドが、邪魔をしたのもあって、
「何でもないよ!」
 と、美咲が強く彼の心配をはねのけると、耕太郎は鼻白んだ顔をして、それ以上何も言ってこなくなった。
 そもそも耕太郎はバイトに明け暮れていて、ほとんど屋敷にいることなんてなかったのだった。初登校以来、彼が凉の車に同乗することのなかったため、自然会うことすらない日さえあった。
 一人で学園生活を、過ごすのは辛かった。
 そのうち見えない敵は、堂々と正体を現すようになった。
 彼らはなんと、凉とは仲の良かったはずの木下、村田、野村の三人だったのだ。



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