第三章
『学校へ』第3話(下)





 彼等は、いきなりやってきて美咲の周囲を取り囲み、愛想良くふるまって、
(やっぱり、凉とは仲がよかったんだ。)
 と、美咲を安心させたかと思うと、
「なあ、河田。消しゴム貸してくれよ。」
 と言っては借りた消しゴムを目の前で半分に割ったり、凉の教科書に落書きをしたりした。
 ショックだった。
 けれども彼ら巧妙ないやがらせは、そんなモノではなかったのだ。
 露骨な嫌がらせは、それを機に表には出さず、笑みを浮かべたまま
「腹減った。昼ごはんにパンが食べたくないか?河田。俺達の分も買ってきてくれよ。」
 なんて、昼食の時間の混み合う購買部での買出しをわざと頼んで、車椅子の凉=美咲を一人で行かせたりするのだった。
 自分たちのグループに取り込んだ上での”いやがらせ”の方が、もっとタチが悪い。
 美咲は、そんな彼らから逃げる事ができなかった。
 そんなある日、
「俺にもその車椅子、乗せてくれよ。」
 と、ふいに思い立ったらしい。木下が言ってくるのを、例によって美咲は断ることができない。
「・・・いいけど・・。」
 美咲が答える前に、彼らは凉の脇を取り、
「よいしょ。お前、意外に重いな。」
 と言いあって、床に降ろしてしまう。
 彼ら三人はひとしきり、車椅子で遊んだ後、チラッと床に座り込んで不安げに見上げている凉に向って、突然
「おい。そこにダウン寸前のパンドゥ河田がいるぞ。」
 と、叫んでくるのだ。彼等は、
「うおー。」
 と声を上げると、美咲の方に覆いかぶさってくるのである。
「・・・。!」
 美咲は恐怖のあまり、声すら出ない。
 木下は嬉々として、下肢の動かない凉の体に技をかけ、問答無用に襲ってくる痛みに、美咲は悲鳴を上げた。
「凉、やり返せよ。お前、そんなへなちょこじゃないはずだろ?」
 言って、村田と野村がはやし立てる。
「アイアンクローだあ!」
 木下が雄たけびをあげ、凉の首に二の腕を巻き付け、締め上げてくる。ギリギリと絞められるうちに、視界が暗く霞み、美咲は
「ひー。」
 と小さく悲鳴をあげて、応戦する事すらできない自分自身がとても惨めで、
(もうダメ・・。私、こんな所で死んじゃうんだ・・。)
 と思った、その時。ドンと軽い衝撃が走ったと思うと、木下の体が離れ、みるみる視野が明るくなってくる。
 同時に気分が悪くなり、吐き気をこらえてうずくまる美咲の肩を抱く、温かい手を感じたと思うと、頭上から、
「いい加減にしなさいよ!」
 と、甲高い声が響き渡る。
 見上げると、同じ3―Aのクラスメートの遠藤綾香だった。
 彼女は怒りのあまり血の気が引いて青白くなってしまった顔を、木下の方に向け、
「河田君は、足が不自由なんだよ。いくらなんでも酷すぎない?」
 と、静かにドスの聞いた声色で話しかけるのだ。
「・・・。」
 木下が何か言い返そうとして、周囲の冷たい視線をあびているのに気付く。さすがに三人はやりすぎだと気が付いたらしい。
 鼻白んだ表情で少し体をのけぞらせると、
「ちょっと喉が渇いたなあ。ジュースでも買いに行こうか。」
「そうだな・・。」
 と、聞こえよがしにつぶやき合うと、彼ら三人はさっさと教室を出ていってしまう。
「・・・・大丈夫?」
 先程とはうって変わって、優しげな声色で話しかけてくる遠藤綾香に、美咲は
(助かった・・・。)
 と、心から安堵の吐息を吐いた。
「ありがとう。」
 感謝で瞳をうるませて綾香を見上げる美咲に、彼女は瞳を泳がせる。
 そのしぐさは、河田家で元の凉とは違う所を目にした時に、就業員がした表情と同じだ。
(こんな顔も、元の凉はしないんだろうなあ・・。)
 思いながらも、
「うぅっ。」
 と、吐き気で胸を押さえる凉=美咲に
「保健室に行こう。誰か、河田君を車椅子に乗せるの手伝って。」
 と問いかけると、即座に
「わかった。俺と、大野だけでいいか?」
 と、周囲で見ていた男子生徒の一人から返事があり、
「そんなの、わかんないわよ。とにかく早く来て!」
 と、綾香が叫んで、すぐさま美咲は彼らによって車椅子に乗せられ、すみやかに保健室に連れられてゆくのだった。
 保健の先生に“大事ない”と診断された美咲は、初めてといっていいくらい、安心してベッドで休むことができた。
 その後は綾香が、行動を起こしてくれた。
 先生に直訴してくれたのだ。木の下達には3日間の停学処分が言い渡された。
 その上、
「河田君。あんな奴らと一緒にいる必要はないからね。私達の所においでよ。」
 と、言ってくれて、彼女達のいるグループに入った美咲は、やっと居心地のいい時間ができるのである。
 木下達にいじめられたからこそ、仲間に入れられたのだから、皮肉なものだったが・・。
 遠藤綾香は、まるで太陽の恩恵を、そのまま受けて育ってきているような雰囲気の女の子だった。
 ショートの髪型に、大きな瞳が特徴的で、当然のようにクラスの中心的存在でバスケ部所属。
 適度に肉が付き、健康的でしなやかな肢体を持つ。
 あっという間に美咲の“こんな風になれたら・・と、憧れる相手となった。
 中味は女の子であっても、外見は男子であるので、綾香のグループの中に取り込まれたようで、そうはいかない。
 美咲は、綾香と比較的仲のいい男子のグループの子達と、一緒にすごすようになっていった。
 その中の一人が、美咲がアイアンクローをされて、気分が悪くなった時に、綾香の一言で凉=美咲を抱えあげた子だった。
 名前は、松井雄介という。顔一面にそばかすが散った、愛嬌のある少年で、どうやら綾香の事が好きらしいのである。
 綾香の親友ともいえる少女が、太田ひより。
 綾香とは対照的で、おっとり動作も鈍く、テンポが合わないように思うものの、気が合うらしい。
 綾香と同じグループには、他に宮本美紀、平野里奈がいた。
 クラスの中での人間関係は、まるで金魚鉢の中で泳ぐ魚達のようだった。
 単調な時間が流れてゆく。
 美咲は、ゆったりとした時間の中を、それこそ漂うかのように、毎日を過ごして一か月ほどたった頃だろうか。
 美咲は、綾香から『好きな人がいるの。』と、こっそり相談を持ちかけられるのだった。
「応援してくれる?」
 と、不安げに首をかしげて言ってくる彼女に、美咲が「それは無理。」と言うわけがない。
「僕に出来る事なら、なんでもするよ。」
 ・・・好きな子って誰?
 聞く美咲に、満面の笑顔で綾香が答えたその名前は・・・。
『河田耕太郎。』
 ・・・・だった。




   novel top       back       next




URL[http://kagi1.yumenogotoshi.com/misaki_index.html]