第三章
『学校へ』第4話





 その名前を聞いた時、一瞬にして美咲の周りの音が消えた。
「・・・・こ・・たろ・・う・・?」
 表情が消えてしまった美咲に、綾香は恥ずかしそうにコクッとうなずく。
「ひよりには言ってあるの。
 二人の河田君と、ひよりと私の四人で遊園地に行けるように、セッティングしてくれたら、とても嬉しいんだけれど・・。」
 そう言った時の、こんなにはかなげで、自信なげな表情でささやく綾香を見たのは初めてだった。
 美咲はなぜ、彼女に二つ返事で『任しておいてよ。こーたろうに都合のつく日を聞いておくから。』と言えなかったのか・・・。
 後になってから思ったくらいだった。
「ほとんど、家にいないんだ。こーたろー。
 会えたら言っておくけど・・。」
 言いよどんで答える美咲に、綾香はすまなそうな表情で手を合わせ、
「ごめんね、河田クン。言いにくかったら別にいいから。気にしないで。」
 と、言って、
『じゃあ。』と、その場から逃げるように去ってゆく後ろ姿を見つめた時、ガックリと自己嫌悪に陥ってしまったのだった。
 その夜に限って、美咲は耕太郎の姿を見かけてしまう。
 見たからには、綾香との約束を反故にするわけにはいかない。
「こーたろー!」
 彼はバイトの帰りらしい。疲れた姿勢で自分の部屋に入ってゆ姿に呼びかけると、耕太郎は動きを止めて美咲の方を振り返る。
「よう。」
 美咲の姿を認めた彼の瞳は、優しい色をしていた。思わず言おうとした言葉を、なぜだか飲み込んでしまいたくなったほどだった。
「クラスの友達と、遊園地に行く話がでているの。一緒に行ってほしいんだけれど・・。土曜か日曜日か、休める日とかある?」
 美咲が問いかけると、こーたろーの瞳が楽しそうに踊る。
「前もって言ってくれたら、開けておくぞ。友達とは、うまくいっているみたいだな。」
 よかったじゃないか。
 彼はそう言いもって、部屋の中に入って行ってしまった。
 廊下にポツンと残された美咲は、胸の中がざらつくような、不快な気分になり、自分の部屋に戻ってからも、しばらくはその気分をもてあましていた。
(なんで、こんな気持ちになるんだろう・・。)
 あの綾香が耕太郎の事を、好きになったのだ。彼女を振る男は、世界中探したって誰ひとりとしていないだろう。
(二人は、お似合いのカップルだ・・。)
 そう心の中でつぶやいた美咲は、どんどん暗闇に落ち込んでゆくような心地を抱えて、夜をすごすのだった。

 次の日の朝、美咲は早速、遊園地の件は、オーケーとれたと綾香に伝えると、彼女は、飛び上がらんばかりに大喜びした。
 暗い気持ちでいた美咲は、気恥しい気分になったほどだった。
(綾香がこんなに喜んでいるんだから・・)
 遊園地の件はこれで良かったのだ。
 心の中でつぶやいて、綾香達が仲間内で話を進めてゆくのを、背後でぼんやり見ていると、美咲の肩をポンと叩く者がいる。
 振り返ると雄介だった。不安げな表情で
「綾香、誰と遊園地行くんだ?」
 と、こっそり話しかけてくるのにハッとなる。
(雄介は綾香が好きだったんだ・・。)
 彼のことを考えると、耕太郎との橋渡しをしないほうが良かったかな?と思ってしまったのだが、もう遅い。
「二人じゃないよ。4人で行くんだよ。僕と、隣のクラスの河田耕太郎。僕のいとこなんだけど、それと綾香とひよりって言ってたかな?」
 わざと明るく軽い調子で答えると、雄介は瞳を泳がせて首をかしげた。しかし次の瞬間。
「河田耕太郎?どうしてあいつとお前なんだよ?」
 と、すごい表情でにらんでくるのだ。美咲は
「わかんないよ〜。」
 と、思わず地がでたしゃべり方で答え、彼から逃げるようにして車椅子をおしてその場から去ってゆく。取り残された雄介の
「え?」
 と、つぶやく言葉だけが、背後から聞こえてきたのだった。
 遊園地に行くメンバーは、いつの間にかひよりから里奈に代わっていた。その後、日取りが決められると、場所や集合時間など、またたく間に決められてゆく。
 耕太郎に会える喜びを、そのまま瞳に宿した綾香は、美咲にとって眩しすぎるほどだった。
 劣等感を心の奥底に宿し、整理のつかないままに日々はすぎる。
 あっという間に4人で出かける朝を迎えるのだった。
「・・・・。」
 当日の朝、ベットから起きるのは、おっくうだった。しばらく布団の中でごぞごぞしていた美咲なのだが、これ以上横になっていたら、遅刻してしまう。
 そのくらいの時間になって、やっとベットから這い出して、車椅子に乗り込んだ。
 今日だけ、いつもと違うので、リハビリテーションは、休みにしてもらったのが、良かったのか悪かったのか、体のだるさをマッサージで取ってもらう術はない。
 のろのろ用意をしてから、メイドを呼び、車椅子のハンドル部分にバッグをひっかけてもらうと下に降りた。食堂に入り朝食をかきこんでいると、同じように慌てた様子の耕太郎が姿をあらわした。
 美咲もまだ食事中なのを確認すると、目に見えてホッとした顔になる。
「お前もまだ食事中だったんだな。すぐに食べて用意するから。」
 言って彼は、すでに用意してある朝食に手をつける。
 黙々と食べる彼の様子は、いつもと変わらない。
 同世代の女の子達と遊びに行く緊張感というか、ワクワク感というべきものなのか、そういった浮ついた感情の高ぶりが全く見られない。
「今日の遊園地にいくメンバーなんだけど、前にも言ったとおり、遠藤綾香っていう子と、平野里奈っていう子なの。知っているかな?」
 確認ついでに聞いてみると、彼は口をモグモグさせて
「知らない。」
 と、そっけなく答えるのみ。
(綾香が、耕太郎のこと好きだから、このメンバーでいくのよ。)
 心の中でつぶやくものの、とても口に出して言えない。沈黙する美咲に、
「・・・ミー。その遠藤って子や平野って子は、ミーが女の子なのを、知っているのか?」
 と、聞いてくるので、え?と首をかしげてしまう。
「え?そんなややこしい事、言うわけないじゃない。」
 美咲が答えると、
「そうか・・。じゃあ、ミーは男だと思われているっていう事だな。
 じゃあ何でこのメンバーで行くんだ?
 ・・まあいい。分かった。言葉に注意するよ。」
 耕太郎は、ひょっとしなくても、自分が遊園地に呼ばれたのは、美咲の車椅子を押す係にだけ呼ばれたのだと思っていたのかも知れない。
「…そうだね。」
 そんなこと考えもしなかった美咲が苦笑いをして答える間に、さっさと食事をすませてしまった耕太郎は、
「用意がすむと下で待っているから。」
 と無邪気な笑顔を見せられて美咲は、さらになんとも言えない気持ちになったのだった。
 美咲だってゆっくり食べている場合ではない。あわててパンを口に入れ、ミルクで流し込むと、メイドの富谷を呼んだ。
「車の用意はしてあるのかな?」
 美咲が聞くと、彼女は車椅子を押しながら、
「はい。」
 と、言葉少なげに答えてくる。彼女は二階担当のメイドの中で、一番無愛想だ。元々、人を相手にするのが苦手なタイプらしい。
 しかし美咲を乗せた車椅子は速やかに進み、玄関を出るとすでに耕太郎も待っていた。
 富谷に車に乗り込むのを手伝ってもらって、車はただちにスタートする。
 綾香達とは最寄の駅前で待ち合わせてあった。
 彼女達とは電車で遊園地まで行く事になっていて、車から降りると切符を買い、エレベーターを使ってホームに上がってゆく。
(綾香達いるのかな?)
 エレベーターの扉が開く瞬間、なぜだか美咲の心臓がドキドキ高鳴ってくる。
 綾香達はすでにホームで待っていた。
 彼女達の方が、美咲達を見つけるのが早く、エレベーターの扉が開くと、向こうの方にいた綾香達がハッと目を見開き、手を振ってこちらにやってくるのが見えた。
 綾香達の方に向かって、美咲の車椅子は進む。
「今日は休日ダイヤでしょ。思ったより、電車が早くついたの。おはよう。二人の河田君。」
 おたがいに顔を合わせた時、にこやかな笑顔を浮かべて言ってきたのは綾香の方だった。
「おはよう。こちらは遠藤綾香さんで。この子が平野里奈さん。で、僕は二人とも下の名前で呼んでいるんだ。」
 美咲が二人を紹介すると、耕太郎はペコリと頭をさげて
「河田耕太郎です。」
 と、短く答えた。ちょうどそこで電車が到着し、そばで控えていた駅員の補助のもとで美咲の車椅子は中に乗り込んでいった。
 電車に乗り込んだ後は、なんとなく気まずい雰囲気が流れていたのだが、綾香の何気ない会話に、美咲が答えているうちに、空気が温まってくる。
 綾香とは対照的に、里奈はもともと寡黙なたちなので、ほとんど会話にのってこない。
 表情にも変化が見られないので、何を考えているのか、よく分らない女の子だった。
 彼女はもともと、遊園地には来たくなかったのかもしれない、とまで思ってしまう。他の子は予定が入っていて、仕方なしにつきあいで来たのかも知れなかった。
 ただ、立っているだけで、周囲の視線を集める美少女なのは確かだ。
 見た目は良くても、あまり自分の感情を表にださない里奈の事は、実は苦手な美咲なのだった。
 耕太郎は柔らかい視線で、綾香と表面的には楽しげに話す美咲を見つめていた。
 たまに目を細めて見てくる瞬間を、綾香は見逃さない。
「いとこ同士、仲がいいんだあ。うらやましい・・。」
 と、綾香にコメントされて、なぜだか美咲は動揺した。
「そんなことないよ。耕太郎とは言い合いばっかりだよ。ねえ。」
 と、否定する言葉を吐くと、彼は面白がった瞳で
「なんてったって、河田家に居候している俺は、『凉様』には逆らえないんだぜ。」
 と、返答してくるのだ。
(こんな所でも、凉様だって・・。)
 ムッとして口を膨らませる美咲だったのだが、綾香はその言葉に身を乗り出してくる。
「耕太郎くんって、居候なの?いとこなのに?」
 聞く綾香に、
「当たり前じゃん。」
 と、答える耕太郎。
「凉クンって河田家の中では『凉様』なんだあ。・・・でも何となくわかるかなあ。凉クンのお父様は河田グループの社長さんで、議員さんだものね。」
「そうさ。お母様は旧華族様だもんな。親族軒並み総理大臣ザックザクの吉田家お嬢様だし。サラブレットなんだよ。」
「凉クンのお母様って、見たことあるわ。下々の者とは、格が違うって感じだものね〜。」
「分かる?すごいオーラの持ち主だよな。」
 綾香との会話は、口下手な耕太郎にしては弾むらしい。
 凉をネタにして盛り上がっている二人を見て、美咲は笑顔を張り付けさせた顔のまま、車椅子から見上げていた。
 電車の乗り継ぎも問題なくすみ、一行は目的地の遊園地にたどり着く。
「耕太郎くんって、ジェットコースター系は好き?」
 綾香の問いに、
「好きってなものじゃないぜ、シャトルループや、サンダードルフィンとか、ドドンパなんて昔はよく乗ったよ。」
 と、過去に思いをはせて、遠くに視線を泳がせて答える耕太郎に、
「私も大好きなの。今日のバンデットとか、ホワイトキャニオンとか、お勧めかも。」
 二人して盛り上がっている。
 遊園地に入ると綾香はさりげなく
「里奈も絶叫系は?」
 と聞くのだが、彼女は
「私は嫌い。二人して行ってきたら?私は河田凉クンと留守番しているから。」
 と、うまい具合に勧めるのだ。
「え?でも私たちだけ行ってもダメじゃないぃ〜?。」
 首をかしげ、言葉では否定しても、綾香の瞳は強い。
 耕太郎はいきなりよく知らない女の子と、二人で回る話をふられて目を見開いている。
「え?凉の面倒は?」
 戸惑った視線で美咲の方を見てくるのを、思わず
(こーたろーがノリノリでジェットコースター系が好き。なんて言うからよ。)
 と心の中で舌うちするものの、言葉には出せない。ニッコリ笑って、
「僕は大丈夫だよ。一人でトイレにも行けるし、これでもなんでもできるんだから。
 せっかく遊園地に来たんだから、行ってきなよ。こーたろーが絶叫系が好きなんて、知・ら・な・か・った。
 僕は車椅子なんで、ジェットコースターは乗れないしね。里奈と大観覧車に乗ってこようかなあ。ひとしきり遊んだら、携帯に電話してもらうよ。
 里奈、行こうか。」
 半ば強引に里奈の手を取ると、彼女はビクッと体を小さく震わせるものの、コクンとうなずくのを不思議に思う。
 ボー然となっている耕太郎の手から、車いすのハンドルを奪うようにして握った里奈は、大観覧車に向かった。
 綾香と耕太郎の二人を、そのまま残して去ってゆくのだった。




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