第三章
『学校へ』第6話
耕太郎を綾香に紹介して、それで元の学生生活にもどって終わり。のはずだった。
もちろん綾香はそれ以上、耕太郎と会わせろ。なんて言ってこず、表面上は平穏な生活を送れてはいた。
けれど、美咲は今まで通りの、“綾香に対して、憧れの眼差しを向ける生活”を送れなくなってしまったのだ。
里奈の、綾香に対する鮮烈な意見を聞いたからだろうか。
いや、それだけではないだろう。ある程度一緒に過ごしているうちに、いろいろ見えてきたのだ。
例の一つにとってみると、ひよりと仲がいいように思えたのに、そうではないらしい事。
ひより自身、裏で綾香の悪口を言っているのを耳にしたりすると、初めは美咲も首をかしげたものだが、何となく気が付いてしまった。
綾香がひよりとともにいる理由を。
彼女は、自分の美しさが際立つように、一見して冴えない容貌のひよりと共にいた。
おまけに誰よりも美しく、才能に溢れ、望んだものを手にいれる資格を持つ。と、本気で信じているような素振りが見えた時、美咲は彼女に対してイヤな感じをうけたのだった。
車椅子生活の“河田凉”にだってそうだった。
面倒見がよく、親切を施す善意の陰に、相手を同情する瞳の色が、見え隠れする。
下肢の動かない自分に対して、五体満足に生まれ持った者特有の、優越感の混じった視線を向けられて、美咲は身震いするほどの、不快感を感じたのだ。
遊園地の時以外は、ほとんど“河田凉”に干渉してこない里奈の方が、まだマシだった。
・・・・以前、クラスで孤立していた美咲に声をかけてくれた綾香。
おかげで友達も増え、学生生活が格段に過ごしやすくなった美咲は、まだまだ彼女に対して感謝の念を持っていた。
綾香に対して生まれた“負”の感情は、何とも心地の悪いものだった。
そういった感情を抱えて、日常は過ぎて行く。
中学生最後の文化祭に向けて、クラス単位でイベントが組まれると、毎日が忙しくなる。
クラスのみんなで作業する時は、それなりに楽しいものだった。
そうこうするうちに、文化祭の当日になと、ひよりや里奈が、美咲を誘ってくれた。珍しく綾香と共に行動しないらしい。
三人はタコセンや、たこ焼きなどを共に食べ、当て物をして過ごす。
「2−Aのお化け屋敷に行こう。」
誰とはなしに口にした言葉を受けて、三人はエレベーターに乗り込み、
「河田クンのおかげね。エレベーターに乗れるなんて。」
と、体が重くて、なるたけ動きたくないひよりが、満面の笑みを浮かべて言うのを、美咲と里奈は大笑いしてしまった。
笑顔のままでエレベーターを降りた途端、目にしたものに・・・。
美咲の体は硬直する。
綾香と耕太郎だった。
二人で仲良く歩く姿は一瞬で、廊下の角に消えてはしまったものの、見間違えるはずはなかった。
ショックを受け、胸の奥がズンと重たくなる感触に動揺し、二人の姿は錯覚かと思う。が、
「綾香、今回は夢中じゃない。ほかの景色は目に入らないってな感じね。」
珍しくひよりが皮肉な口調でつぶやくのを耳にして、美咲はがっくりしてうなだれてしまった。
(いつの間にか、二人。付き合ってたんだ・・・。)
文化祭で、男女二人で回る=は、学校内での暗黙のルールとして、二人は付き合っているということだった。
そして、文化祭に近づきだすと、バレンタインやクリスマスよろしく、相手のいない子たちは、付き合い始めるきっかけを求めて右往左往しだすのだ。
美咲には、関係ない世界だったけれど。それでも、小耳には入ってきていた。
そんなことくらい、美咲だって知っていた。
(綾香の事だ。なんで、ひよりと里奈が綾香と回らないとわかった時点で、この事を思わなかったんだろう・・・。)
自分の鈍感さに、腹までたってくる。
(遊園地の時には、あの二人、いい感じだったのに・・・。)
綾香に耕太郎の事が好きだと告げられた時から、こうなる事はほとんどわかっていた。
けれど、心のどこかで、そんなことにならないと、願っていたのだ。
心が苦しかった。
(どうして?こんなに苦しいの?)
呟きながら、同時に自分の中にある感情に気付いてしまった。
(私、耕太郎のこと好きだ・・・。)
そう心の中でつぶやいた時、美咲はめまいが走った。
なぜ最近になって、綾香のアラばかりが目についていた理由が、わかってしまった。
(綾香に嫉妬してる・・・。)
自棄になって笑い始める美咲に、里奈とひよりはキョトンとした目付きでみてくるが、とてもじゃないが、言い訳できない。
「ちょっとごめん。忘れ物しちゃったみたいだ。先行っていてくれる!」
と、言い置いて、自分で車椅子を動かせて、彼女らから離れてゆく。
そのままエレベーターに乗り込み、扉を閉めるスイッチを押す美咲に、あっけにとられた表情の里奈とひよりは、付いてこなかった。
扉がしまり、一人になった美咲は、空虚な笑いが止まらない。
エレベーターは、ほどなくして扉が開く。生徒の家族らしい。杖をついたお年寄りと付添の人が、乗り込んで入ってこようと待ち構えているのを、
「すみません。すぐに出ますので。」
と、笑みを張りつかせたまま、やたら低姿勢で謝り、一刻も早く一人になれる所を捜してさまよった。
無我夢中で、校舎の隅までたどり着くと、隠れるようにして一息つく。
建物で切り取られた小さな空を見あげた時、みじめな自分から逃げ出したくなってしまった。
自然、小さな空に向かってあるメロディが浮かぶ。美咲は口ずざむ。
『この・・わたしの・・願い事が叶うならば、つばさがほしい。
この大空に、翼を広げ、飛んでゆきたいよ・・・・。』
・・・彼女のように、耕太郎のそばにいたい。
健康な肢体・・。女性の外見・・。明るくて、相手を楽しませる技能をもった彼女・・。
美咲には無理な話だった。凉の体を借りた美咲には・・・。
瞳を閉じ、夢中で歌う美咲は気づくことがなかった。
凉の声帯を借りて歌うその歌声は、声変わりした男性のものからキーの高い女性特有のソプラノへ変化していた。
その声の変化を、校舎の非常階段で暇をつぶしていた他校生の耳に入り、驚愕の表情で見守る存在に気づくことがなかったのだった。
歌っているうちに盛り上がり、腕まで上げて声を張り上げ、ワンフレーズ歌った美咲は、自棄になりすぎて諦めがついたのか、スーッとしたような気持ちになった。
大きくため息をつくと首をふり、ハンドリムを握ってその場から離れていくのだった。
・・・・美咲が姿を消した後に、残された彼等・・・非常階段で美咲を見下ろしていた面々は、お互いの顔を見合わせる。
「・・・あの声・・一体何だったんだ?」
可愛らしい、少女のようにあどけない雰囲気を持つ少年がつぶやく。
その問いに答える者はいない。ちょっとした沈黙の後、
「さあね?」と、首を振って煙草をふかし始める長身のメガネをかけた少年が返事した。
一方何かしらの衝撃を受けたらしい、硬直してたたずむもう一人の少年に、問いかけてゆく。
「青木。どうしたんだよ」
「みんな、見えなかったか?車椅子の男の周囲に女の風貌が見えた・・。」
青ざめてつぶやく青木と呼ばれた少年に、周囲の同情に満ちた視線が集まった。
「見えたのか?お前、霊感強いものな。じゃあ、あの声はその女の霊の声ってわけ?」
少年がつぶやくと、青木は首をふる。
「わからない。・・けれど、あの車椅子の子。何かがある・・。」
腕を組み、目を細めて彼はつぶやくのだった。
・・・そんな彼らの存在に、つゆほど気付かずその場を立ち去った美咲は、感情を隠し、里奈とひよりと再び出会う。
中学最後の文化祭を楽しむふりをし、草々に家に帰って行った。
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