第三章
『学校へ』第7話
・・・・耕太郎は、美咲にとって、たった一人の心の支えだった。
けれど、耕太郎の心の中には、自分とは違う人がいる。
それを思うと、胸の奥がぽっかり空いてしまったような、例えようもない喪失感を、美咲は耐えることができない。
(この苦しみって失恋?・・気持ちに気が付いてすぐに、失恋だなんて・・。)
みじめな気分で、ベットの上で歯をくいしばっていたが、じっとしていると余計気分が悪い。
美咲はベットからはいだして、部屋を出た。
そんな時に、よりによってだ。
廊下に耕太郎がいた。
今帰ってきたところらしい。彼は、上気させた頬で、美咲に気づくと手を挙げた。
「よっ。」
と、美咲に挨拶する表情は、彼女との楽しい時間をすごした時のままだ。
美咲はさらに絶望の奥底に落とされるような気分になり、もうどうでもいい気分になった。
「楽しかった?」
美咲が問いかけると、
「まあな。」
短い耕太郎の返事。
「綾香といつから付き合っているの?」
たたみかかけるように問い詰める美咲に、耕太郎は首をかしげた。
「付き合ってるだって?。何を言ってるんだ。
彼女とはそんな関係じゃないぞ。友達とけんかしたから、一緒に回る人がいなくって困ってるって言うから・・・。」
「なんで言い訳してるのよ。素直に認めればいいじゃない。綾香の事、まんざらじゃないんでしょ?」
美咲の言葉は図星だったらしい。少し戸惑う耕太郎を目にした時、美咲は胸の奥底に冷気が走るのを感じた。
自分で自分の心を、ズタズタに切り裂いてゆくようだ。
耕太郎は眉をひそめて美咲を見る。その視線を受けて
(私って最低・・・。)
と思った。
耕太郎を責める権利なんてないのに、目を吊り上げ延々と問い詰める自分は、みにくい女そのものだ・・・。
(凉くん。・・・・恋人を作らないことっていう条件。絶対に反故になることはないわ・・・。)
こんな“イヤな奴”を好きになってくれる人なんていないだろうから。
心の中でつぶやいていると、スーと何もかもが、どうでもよくなってくる。
絶望のかげで、美咲は“河田凉”について、謎に思っていた事まで思い出す。
恋人をつくらない条件は、完璧にこなせるならば、、“凉の過去を詮索しない”約束を破ったって、大事にいたらないのではないか?
ゲームオーバーにはならないのではないか?
一つの条件が生きているのだから・・・。
“河田凉”に対する謎を、この際、耕太郎に聞くぐらい、どうってことないじゃないか。
凉の死は、ずっと謎に思って仕方がなかったのだ。
なんて思ってしまったのである。こんなありえない条件の下で、自分はよく頑張ってきんだし・・・。
(もし、これで終わりになっちゃったとしても、もういいわ。)
一瞬、そんな考えまでよぎる。
「お前、何誤解しているんだ?
そもそも俺は、女の子と付き合うなんて、そんな暇なんかないぞ。
付き合ったって、傷つけるだけだから・・彼女には確かにコクられたけど・・・。
断ったぞ!俺にはすることがあるからって・・・。」
珍しく饒舌になる、耕太郎の説明が耳に入らない。
(凉とのやくそく。・・・ひとつ破ってしまおう・・・。)
この際、謎を釈明してもらおうではないか
「“河田凉”になってから、私ずっと謎に感じていたことがあるの・・・。
凉はなぜ死を選んだの?ここで何があったの?」
歌うようにつぶやく美咲の口調に、耕太郎の動きがとまる。
凉の過去の話は、耕太郎をも、過去にいざなってゆく。
憎しみの思い出をよみがえらせてしまう。
彼にとってのNGワードだった。
一瞬、表情の消えた耕太郎の、
「そんな事知ってどうする・・。」
の言葉に、美咲はさらに、やけくそな気持ちで、
「ある程度は知ってるんでしょ?教えれる範囲でいいから教えてよ。
もしかして、あの世の凉が、戻ってくるかもしれないじゃない。」
と、話をでっち上げてみる。
すると、耕太郎の瞳が鋭く光り、熱を帯びた。
ずっと前に、美咲の事を、凉だと思っていた時の瞳の色だ。
美咲は、一瞬その視線を浴びて委縮するも、それでも聞きたいと思う気持ちは変わらなかった。
キッと見つめ返す美咲に、耕太郎は唾を飲み込む。決意したようで、ゆっくり口を開けた。
「じゃあ、教えてやるよ。・・・そして、思い出せ。万が一でも、お前の中の凉を、甦らせてみろよ。」
一拍おいて、耕太郎が言葉を紡いでゆく。
「・・・俺たちが、ここに来たときの凉は・・・・。」
けれど、それ以上の言葉は、美咲の耳に入ってこなかった。
まずは、耕太郎の顔が赤く変色したように思う。
けれどそれは、美咲が彼の表情を凝視していたからそう思っただけであって、変化したのは、耕太郎の顔色だけではなかった。
(あれ?)
と思う間もなく突然、すべての視界が赤く変化していたのだ。
(何なの・・これ・・。)
赤い色の世界に動揺する美咲に、凉の体にべったりとへばりついていた自分の意識が、ヌルッと剥がれる気持ちの悪い感覚。
今まで感じたことのない感触に焦るも、もうどうすることもできない。
凉の死を詮索したから、妙な具合になってしまったのか?
(まだもう一つの約束が残っているのにぃ・・・・!。)
叫び声をあげる美咲の意識が、みるみる矮小化する。
暗闇の中に堕ちてゆくような心地がしたかと思うと、そのまま目には見えない濁流の渦に飲み込まれてしまっていた。
(キャアー!)
叫び声をあげる美咲には、どうする事も出来ない。
「みー!」
耕太郎が叫ぶ声だけが、なぜだかかすかに聞こえた。
「こーたろー!」
(凉に飲み込まれるぅーー!)
助けを呼ぼうにも、もうここは通常の世界じゃない。
例えようもない恐怖が襲ってくる。強大な遠心力に翻弄され、美咲は自分の意識が遠のいてゆくのを感じるのだった。
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