第四章
『失くした鍵』第1話
榛の記憶







・・・・・ふと、気が付いた時には、美咲は自分の体が闇の中で宙に浮き、眼下に光り輝く渦のようなものが存在しているのに気付くのである。
(・・・助かった?)
 まずはそう思った。次に・・・。
「ここはどこ?」
 だった。
 シンと静まりかえった暗い虚無だった。
 光の渦から、かすかにざわめいた音がすると感じた途端、美咲の目前に渦がせまってきていた。
 渦は、すざましい音をともなって、川のように流れをつくり、一瞬美咲にめまいを起こさせる。
 けれども、すぐに体勢を立て直し、しっかり濁流の中を見てみると、光の川に見えた渦の中には、映像と音がかいま見れた。そのすべてがリアルに存在し、その結果、強烈な大音響となって溢れ出ているのである。
「・・・あなたの赤ちゃんの時にソックリじゃない。ビックリだわ。」
「寛子さんにも、ちょっとは似ている所はあるよ。
 けれども、可愛い赤ちゃんだ。こんなに小さいのに爪も生えてる・・。」
 女の人の声と、男の人の声。
(?)
 不思議に思った途端、美咲は生まれてまもない凉の中にいた。
 疲れ果てて、それでも小さく泣き声をあげる凉の視界に、ぼんやりと影が映る。
「お母さん。俺にも抱かせて下さい。」
「そっとよ・・そっと・・。」
「寛子さんは、大丈夫なのか?」
「思いのほか出血がひどくて、輸血している状態なんです。」
 これは、心配気な優しい父の声だ。
 ふいに頭をなでる手の感触に、凉は温かいものを感じた。
「・・・寛子さんが、ひと段落するまで、茉莉がこの子を見てくれるから、榛。安心して仕事に行けばいい。」
 祝福のメッセージが凉の周りに充ち溢れ、安心して眠りに入ってゆく。
 次に視界に入ってきたのは、ハイハイをする凉。
「ほら、こっちよ。りょうくーん。」
 手をパタパタたたいて手を広げ、笑顔でこちらを見ているのは、凉の祖母だ。
 びっくりするくらいに綺麗な女性だ。
 凉は、祖母の所に行きたくて、夢中にハイハイをする。風景が光り輝いている。
「はーい。できましたあ。」
 彼女の元にたどり着いた凉は、祖母に抱きとめられる。柔らかい感触。フワッとローズの香りに囲まれた凉は、歓喜の感情でいっぱいになる。
(これは・・凉の記憶だ・・。)
 こんなに鮮明に赤ちゃんの頃の記憶が存在するなんて・・・。
 と、思ったとたん。美咲はふたたび光の渦を見下ろす形で宙に浮いていた。
 右側に気配を感じ、何気なしに横を見て、ギョッとなる。
 表情のまったく浮かんでいない、けれどもまぎれもない凉の姿があったのだ。
「凉?」
 戻って来れたの?
 勢いこんで言う美咲の姿を、凉の瞳は何も映し出してはいない。
 唐突に、凉がフワリと抱きついてくる。
 質感がまったくない。無機質なものにおおわれたような違和感を感じて、美咲は同時に、これは凉ではないと直感する。
(凉の記憶だ!)
 なぜそう感じるのか。思った途端、美咲は周囲の景色が鮮明に変化し、時間と空間が入り乱れた、味わったことのない世界を見せつけられるのである。




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