第四章
『失くした鍵』第5 話






 父にはほとんど会わなかった。
 けれども、裕子にはほとんど毎日顔をあわせていた。怒りの矛先が彼女に向かうのを、どうすることもできなかった。
 わけもなく裕子に当たる凉の様子に、さすがの耕太郎も眉をひそめた。
『最近のお前。なんだかおかしいぞ?どうしたんだ?』
 と、聞いてくる始末で、お互いの両親の事を、露ほど疑っていない耕太郎には、さすがに相談できない。
 悶々としているうちに、凉は気づいてしまう。
 自分の、彼女に対する視線の意味を。
 母と同世代の、それも従兄の母親の対して抱いてしまった感情を、凉は嫌悪した。
 とうとう感情の制御ができなくなった凉は、ある行動に出てしまう。
 裕子を屋根裏部屋に呼び出したのだ。
 不安げな表情で、部屋に入ってくる彼女に、凉は始めのうちは無邪気だった。
「耕太郎と、瑠香の三人で見つけたんだ。なんだか秘密基地みたいでさ。」
 凉の言葉に、彼女はホッとしたらしい。息を吐いて
「ほんとう。そうね。昔は誰が使っていたのかしら?」
「それは分らないさ。でもね、今でも・・・俺たち以外にも、この部屋の存在を知っていて、使っている人がいるんだよ。
 人の目をしのぶようにして、会っている人たちが・・・。」
 にこやかに笑みまで浮かべ、秘め事のように小さな声でつぶやく凉の言葉の意味に、裕子はハッとなって気付いたらしい。みるみる表情を凍らせてゆく。
 それに対して凉は、首を振って、
「裕子さん、安心して。それを見たのは俺だけだから。耕太郎も瑠香も、全然知らないから。でもね、何でよりによって、相手が俺の父さんなの?」
 と、問いかけると、彼女は戸惑った表情そのままで、
「違うのよ。榛さんは、夫を亡くして落ち込んでいる私に同情して、気にかけてくれているだけなの。」
「そんな話をしたいんじゃない!」
 裕子の言葉を、むしり取るようにして、榛は叫んだ。
 一瞬にして、裕子は動きをとめる。
(じゃあ、俺は何を言いたいんだ?)
 指を握りしめ、自分に問うが、何を言いたいのか、自分でもよくわからなかった。
 母や、自分。はては耕太郎や瑠香を裏切ったことに対する怒り。もやもや感など混乱する感情を、そのまま彼女にぶつけ、
「どこにいたと思う?」
 と言って、踊り場に上がってゆく。
「凉クン。そんな所・・・危ないじゃない!」
 裕子の制止も聞かずに、榛は上がってゆき、
「裕子さんもこっちきてよ!」
 と、問いかけると、なぜか友彼女は狼狽したように後ずさった。その時の凉の表情が尋常じゃなかったからかも知れない。
「早く!」
 言いつのる凉に、裕子は観念したように首をふり、上にこわごわ上ってくる。
「あんた達二人は気付いていなかっただろうけど・・。ここから丸見えだったんだ!。」
「何やってるんだよ。
 お父さまにはお母様がいるんだ。とても仲が悪いけどね。
 裕子さんだって亡くなった叔父さんがいるんだろ?
 どうしてあんな事できるんだ。」
 言いながら怒りのあまり、凉は友美の首をしめてかかる。
「俺は裕子さんの事が大好きだったのに・・。瑠香の障害をそのまま認めていて・・・優しい瞳で子供達を見ていた裕子さんの事が大好きだったのに・・・。」
「り・りょう・・クン。・・苦しい・・やめて・・。」
 うめく裕子の髪に顔をうずめ、さらに締める力を強めてゆく凉の中には、混乱した愛情と、殺意が渦巻いていた。
 裕子だって、首を絞められて冷静ではいられない。渾身の力で凉の腕を解きにかかろうと、腕をバタバタさせるが、凉の方もそうはさせじと力を緩めない。
 酸欠のために裕子の顔色がどす黒く変色し、無我夢中で凉の体をけりあげ、踊り場の端に跳ね飛ばした。
 一瞬の沈黙。
 新鮮な空気を一気に吸い込んで、ゼーゼー息を吐く裕子を見上げた凉は、
「うわー!」
 と叫び声をあげると、頭を抱えてゴンゴン床に頭を打ち付け出す。
「凉クン!」
 ふらつく体のままで、制止してくる裕子を振り払おうと、大きく腕を振った時、凉はバランスを崩してしまった。
 そこは人一人入れば一杯の小さなスペース。それも端の部分にいた凉の体は空をきり、ゆっくり降下してゆく。
「危ない!」
 それ見た裕子は、庇おうとして腕をつき出し、凉の体をだきとめたかと思うと、今度は裕子の体がその場から踏み外して、ズルッと落ちてしまうのだ。
 凉の目の前で、彼女の瞳の瞳孔が開き、次の瞬間、裕子は凉を踊り場の中に突き飛ばした。
 壁に激突して尻もちをつく凉の目の前で、裕子の姿が踊り場から消えてゆくのを、ボー然と見つめるしかなかったのだ。
「裕子さん!」
 あわてて下をのぞく凉の目に入ってきた光景とは・・・。
 彼女は仰向けの状態で横たわっていた。
 凉は無我夢中で屋根裏部屋を飛び出し、裕子のもとに走り寄ってゆく。
 落ちた地面は土の上だったおかげで、彼女の息はまだあった。
 それを確認した凉は、即座に
「救急車を呼ぶから、待っていて!」
 と叫び、走り出そうとした凉の腕を友美はガシッとつかむ。
「!」
 一刻も争う時なのに、なぜ引きとめる!
 と、眼尻をあげて振り返る凉に、口元から一筋の血を流している裕子が
「凉クン。ごめんね。」
 と、ささやいた一言。
 その一言を最期に、みるみる裕子の瞳は光を失ってゆき、ガラス玉のように意志の片鱗さえも見えなくなっていったのだ。
 凉はなすすべもなく、それを見守っているしかなかった。
 そして、彼女の瞳がいよいよ何の景色も映さなくなってしまうと、そこで初めて凉は、半狂乱になって裕子の体を揺さぶりだす。
「裕子さん、話をしてくれ!・・俺、まだあんたに許す許さないとか、返事してないじゃん。」
「なぜ、そんな目をしてるんだ!」
「起きてくれよ!」
 どれだけ叫び声をあげても、返事がない。
 物と化した彼女の体をボー然と見つめていた凉は、ある事に気づく。
 裕子の細い首には、くっきりと凉が絞めたうっ血痕が、青黒く浮き出ていることを。
(・・・・・。)
 その姿を目にした時、凉の周囲のすべての音が止まった。
 亡くなってしまったとはいえ、彼女は救急車で病院に運ばれるだろう。
 そして、診察を受けた時、裕子の首の異変に、医師が気付くシーンを、まるで見て来たかのようにイメージできて愕然とする。
 事故の現場に居合わせた凉が、真っ先に質問責めにあうだろう。
 首を締めた原因を、どう説明する?
 弁解などしようがなかった。
(裕子さんは、死んでしまった・・・これは変えられない事実。
 そうなると、首を絞めたことを、誰にも知られるわけにはいかない・・。
 人を殺した俺を、お母様が許すわけがない。)
 心の中でつぶやいた凉の行動は迅速だった。
 納屋から荷車と鍬とスコップを取り出し、裕子の体を乗せると、人の影をさけるように庭の奥に入ってゆく。
 小さな頃から庭に慣れ親しんでいた凉には、庭師があまり入りこまない場所や、死角くらい、心得ていた。
 ぐんぐん奥に入り込んで、ちょうどいい場所に辿りつくと、鍬を抱えてものすごい速さで掘り進んでゆく。
 そして、ちょうどいい大きさの穴を掘り終えると、凉は命の炎が消えてしまった裕子の体を一瞬みつめた。
 何の感慨も浮かばないまま、凉は彼女の体を抱きかかええると、穴の中へ静かに置いてしまう。
 再び鍬を持って、黙々と穴を埋めゆき、小さな砂山が出来ると、スコップで地ならしをする。雑草をむしり取り、跡形もなく隠してしまってから、ハタと我に帰るのだ。
(何?これ・・。)
 なぜスコップを持って、庭に立っているのかが分らなくなっていたのだ。
 まるで何かを運んできたような格好なのに、以前の記憶が全くあいまいで、訳が分らない。
 凉は、屋根裏部屋に裕子を呼んだことすら忘れてしまっていた。




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